外出しても、あまりスマホを使うことがない。というのは、家にいるときは文字通りほぼパソコンに常時接続しているため、外に出たときくらいは景色を見たり店を見たりしたいからだ。だから、外に出てまでスマホでアプリなどをやっている人の心境が、正直よく分からなかった。ところがである。先日久しぶりにTOEICでも受けようかなと思って、スマホに英単語アプリをダウンロードした。1万語以上が搭載されており、画面に表示された英単語の意味を4択で当てるという簡単なアプリである。これにハマった。何時間でも遊んでいられる。中毒性がある。スマホというのは画面がパソコンより小さいから、他のものごとが目に入らなくなり、ゲームに没入してしまう。これはヤバいなと思った。そして、なぜあのように多くの巷間の人たちが、電車のなかでスマホを覗き込み、アプリやら何やらに没頭しているのか、その理由が少しだけ分かった気がした。そしてアプリで英単語を覚えて頭はよくなっているのかというと、あまりそんな気がしない。アホになった気すらする。いや、アホは言いすぎかもしれない。確かに英単語の意味を思い返すという意味においてはいいのかもしれない。だが、アプリで英単語を覚えるというのは、紙に書いて単語を覚えるような、肉体的な感覚を伴わない。あくまでゲームであるため、小学生のときにファミコンをやったときのように、何だか気だるさが残るのだ。これはいかんと思って、読んでいる最中の本を一気に読了した。そういえば、小田嶋隆がこんなことを書いていた。
だってオレたちのころは、下宿している学生とかのヒマさっていったら、とんでもなかったですからね。まるまる一日なんにもやることがないうえに話し相手もいないんですから。夏休みとかになると田舎へ帰るけど、とにかく連中のヒマといったら、常につるんで誰かの下宿に泊まりに行って酒盛りなんかしてないと身がもたない、それはそれは強烈なものでした。だからとりあえず時間をつぶして退屈をしのぐのに、酒を飲むか麻雀やるかみたいな事情があって、そこのところで酒の道にハマっていく人間が一定数いました。
電車の中でみんながスマホを見ているのを見てもわかるように、われわれは、何があるわけじゃないんだけど、ちょっとした細かい空き時間に見る先がないと落ち着かないという段階に到達しています。その昔、スマホがなかった時代は、電車の乗客の多くは、ぼんやり窓の外の景色を眺めたり、あるいは黙って考え事を遊ばせたりなんかしながら三十分やそこらは、活字やら新聞なしでもやり過ごすことができていました。それがいまや、余暇時間を全部あのスマホというちっちゃい板みたいな機械に吸い取られてるわけです。これ、真面目に考えてみるとしみじみと恐ろしいことですよ。