小島武夫の「ろくでなし 伝説のミスター麻雀、酒と女とカネの無頼75年」を読了する。
家で女房をつまみに呑んだって、なにがおもしろいのか俺にはわからない。
華やかな街の華やかな店で、華やかな女たちと呑むからこそ、華やかな人生と思えるのだ。それがバクチ打ちとしての活力となり、時に何倍にもなって返ってくることだってある。
そして、また浪費する。
このあたりは本当にろくでなしで笑うw。
知っている人も多いと思うが、俺は千点や二千点の手を決して狙わない。
絶対に和了らないわけではないが、その和了りを目指して手順を進めたことは一度もないのだ。本来和了れるはずの和了りが、目の前を通り過ぎたことなど、数えきれない。
しかし、さらに上の手を目指しているときは、満貫だろうが跳満だろうが、平然と見逃してきた。鳴いて千点を和了れば勝ち上がり、という局面でも、俺は仕掛けにはいかない。
そういった小さな局面局面を積み重ねれば、もしかしたらタイトルの一つや二つは簡単に手に入ったかもしれない。
だが、俺はそんな麻雀が打ちたくてプロをやっているわけではない。
自分の麻雀を貫き通していたら、たまたま「プロ」という肩書きがあとからついてきただけなのである。
展開に合わせて”さばく”のは、俺の性に合わない。
その場凌ぎのような勝ち方でなにかを得ても、俺は満足しないのだ。
だがこのあたりを読むと、さすがに感銘めいたものを覚える。狂気のなかに、一つの哲学というか美学が貫かれている。普通の人にこんな生き方はできない。同時代で小島武夫を知っているわけではないが、やはり唯一にして無二の人だったのだろうな。阿佐田哲也との交流についても触れられており、面白く読んだ。