群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

1.17

 阪神・淡路大震災から今日で30年になる。朝、黙祷。
 30年という月日を、さすがに「あっという間だった」と言い表すことは出来ない。長い年月が経過した。
 当時、私は高校生だった。テレビなどの家具はすべてひっくり返り、ほとんどの食器は割れ、幸いなことに命は助かったものの、私も母も家具の下敷きになり、その破壊力は圧倒的だった。地震発生直後、私たち家族をふくむマンションの住民たちは部屋から地上に降り、まだ指もかじかむ寒い冬の朝、文字どおり着のみ着のままで途方にくれていたのだが、運よく(悪く?)傷ひとつ負っていなかった父が意気揚々として、「おい、隣のマンション見てみろよ」と私に話しかけてきた。なんだろうとけげんに思い、父についてとなりのマンションに行ってみると、その荘厳な十階建ての建物には見事に亀裂が入っていた。父は人目をはばかることもなく、そのマンションに入った亀裂を満足気に見上げ、「すげえなあ……」とつぶやいた。30年が経過したが、震災直後の朝のそういうどうでもいいことを今でもはっきりと覚えている。

『翻訳に生きて死んで』

 クォン・ナミのエッセイ『翻訳に生きて死んで』を読了。絲山秋子恩田陸天童荒太などの日韓翻訳を手掛ける、韓国でも人気の翻訳家によるエッセイ。身辺の雑記から、愛娘について、訳した本のあとがきについてなど、面白く読めた。出版社とのギャランティの交渉についても記されていて、このあたりはやはりシビアなんだなと感じさせられる。個人的には、翻訳に対する心構えについて記された文書に触発されるところが大きかった。

私は無神論者だが、あのときのことを思うと神様は本当にいるのかもしれないという気持ちになる。あるいは、古い表現だが、祖先神が助けてくれたのかもしれない。考えなしに突っ走る私に足をかけて転ばせて、この仕事で食べていくならもっと腰を低く、もっと学んで、もっと誠実であれという愛ある警告をしてくれたのかもしれない。 p133

仕事がないときは、ひたすら読んで、書いて、勉強すること。なにげなく読んだ本、書き散らした文章が積み重なって、必ずや次の翻訳を輝かせてくれるはずだ。 p134

私も読書は好きだが、仕事だと思って読むと、いい本であっても嫌気が差すことがある。前述した”翻訳の勉強”も勉強だと考えると、3日もすればうんざりしてしまうと思う。本は地下鉄で移動している最中や家でゴロゴロしているときに1、2ページでも読めたら十分、文章は時間のあるときにブログに走り書き、翻訳は1日に1行でも訳せたら上出来で、スクラップ翻訳は空いている日にまとめてやればいい……。この程度の努力もせずに、翻訳家になろうとしているわけじゃないですよね!? p59

 驚くべきは筆者の翻訳のスピードである。1か月に1冊は訳しているという。「そんなことが実際に可能なのか……?」というスピード。やっぱり出版翻訳だけで食べていくには、このくらいのペースで訳せる能力が必要なんだろうな。
 でも筆者の言うような、日々読んだ本や書いた文章が血となり肉となる翻訳という仕事が私は好きだな。生計を立てられているわけではないから、いつか離れなくてはいけないときが来るかもしれないけど、あがけるだけあがいてやろう、と思える一冊。

 

競馬

 昨年の暮れから競馬に対する関心が高まっている。きっかけは有馬記念だった。先月の22日、ふと有馬記念が催されることに気付き、何気ない気持ちで馬券を買ってみた。すると、馬券を買うという行為のスリリングさに、思いもかけず引き込まれてしまったのである。今では便利なもので、JRAのサイトと自分の銀行口座を紐づければ、オンラインで馬券が購入できるのである。
 学生の頃は、まったく関心がないわけではなかった。当時ダービースタリオンというゲームが流行し、自身プレイしていたこともあり、ちょくちょくとテレビでレースは見ていた。サイレンススズカエルコンドルパサーテイエムオペラオータイキシャトルクロフネ……。今となっては懐かしい名前である。以後競馬なんて、お笑いやサッカーと同じくらいに関心のない世界だった。だから、イクイノックスの活躍もアーモンドアイの活躍も知らない(活躍どころか、調べるまで名前も知らなかった)。
 たった100円で、予想する楽しみとひとときのスリルが買える。それに何といっても、馬にはロマンがあるではないか……! ということで、今年はちょっと競馬に注目していこうかなと思ってる(あくまでも、ほどほどに、ですね)。


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西北のジュンク堂へ

 新年明けましておめでとうございます。三が日は、初詣、叔父の家で麻雀、ウォーキング。麻雀は楽しかったんですけど、正月独特の空気がどうにも苦手で、本日は西宮北口ジュンク堂へ(まあ、西宮北口も十分、正月の空気で満ちてはいたんですけど)。

 宮地尚子さんの『傷を愛せるか』を購入。モスでジンジャエールを飲みながら読む。
 書くことと読むことは両輪。英語読解力の向上を図りつつ、今年も訳すことに向かい合っていきたいです。

スーパーで読書

 スーパーの休憩所で読書。モスバーガージンジャエールでも飲みながら読もうかとも思ったが、結局スーパーでペプシを買って読んだ。86円。自分の吝嗇さに呆れる。

 休憩所では、周囲の様々な人たちの会話が耳に入ってくる。別に、耳をそばだてているわけではない。イヤでも耳に入ってくるのである。近くに座っていたおばさま方の「中山美穂、あれは、いうほど美人ではない」に、さすがに笑う。中山美穂さん……いや、おきれいな方だったと思いますけどね……。

 

 図書館で十二国記シリーズを借りてきた。mixi2で推している人がいたので。年末年始は十二国記を読もうと思う。てっきりファンタジー小説かと思っていたが、今読んでいる『魔性の子』はまるで毛色の異なる作品である。シリーズを通じてどういうつながりがあるのか、当然のことながらまだ、まるで見えてこない。楽しみに読み進めていきたい。

風文庫さんへ

 本日は芦屋の風文庫さんへ、借り棚の整理へ。『月刊佐藤純子』など、文庫本を数冊加えております。
 Hさんから、「『30年目の手記』読んだよ、面白かったで」との言葉をいただく。「30年目の手記」とは、KIITOで募集している、阪神・淡路大震災に関する手記のことである。正直、ひどかった場所と比べたら、我が家などほとんど被害を受けていないのに等しいので、このような手記に自分が応募していいのかという気持ちが少なからずあった。なので実際に感想をいただき、ちょっとホッとする。
 最近はなかなか本を読むペースが上がらない。本がたくさん売れたときは、積ん読本を借り棚に置くなどしてしのいでいるけれど、できる限り、自分で読んだ本を置くようにはしたいと考えている。年末年始に入るし、頑張ってコツコツ本も読んでいきたいところ。

 地元のベンチで少しだけ読書。今日は午後ティー

今年の目標

 特に目標などは立てなかったこの一年……。塩屋の「舫書店」さんに行くことが一つの目標といえば目標だったが、これは2月に早々に達成してしまった。

 その後、舫書店に足を運んだかというと、一切運んでいない。思うに、うちから塩屋までは、やはりいささか時間がかかるのである……。

 

 

 そんな中、9月の松江への旅行は、一応目標らしき目標の達成と言えるかな、と。前々から一度、松江に一泊してゆっくりまちを回りたいと思っていたので。人も穏やかだったし、冬營舎さんにも行けたし、よいひとときを持てた。

 

 

 あとはもう、特に目標はないけど……。つけているブクログによると、今年は196冊(漫画を含む)本を読んでいるので、ここまで来たら200冊読みたい。

 

 
 今携わっているお仕事は、昨年立てた目標、「訳業の仕事を得る」が叶い、いただいたものである。苦しめられもしたけれど、訳業に携われていることへの感謝を忘れないようにしたい。来年中には終わりそうにないけど、一歩ずつ進めていきたい。

今週のお題「今年の目標どうだった?」

三宮へ

 先日は、三宮へ。ギャラリー島田さんで「木村章子展」「和田吉美展」を見る。

 

 ギャラリーロイユさんでは、常設展を拝見。

 三宮には良いギャラリーが複数あるが、足を運んでいると、だんだんそのギャラリーの特徴や個性というものが見えてくる。ギャラリーロイユさんで展示を拝見するのは2回目だが、その作品は、極めて耽美的、幻想的である。今は自分の好奇心が勝っているが、ワタクシはこのギャラリーに通い続けるのかどうか…。どのような個展が拝見できるのか、楽しみなところである。
 その後、蛙や木琴さんで、「頓花慎太郎写真展」を見る。子どもの写真、漁港の写真、動物の写真など、光と生命感をとらえていた。想像していたよりはるかに本格的で、驚いた…。1年や2年の経験じゃないと思うんだけど…。今度、機会があれば聞いてみよう。本の栞さんで『夏葉社日記』を購入。ブックオフ三宮駅古書店などを回って、帰宅。

 

 やはり三宮は、ワタクシの心に活力をもたらしてくれるな(●´ω`●) また平日、頑張っていこう。

ペプシで読書

ペプシ 生 ゼロ 600ml」を飲みながら、公民館で読書。この「ペプシ 生 ゼロ 600ml」、最近気に入って飲んでいる。何といっても、容量が多い。ちびちび飲んでいれば、1時間は余裕で戦える。しかもこの「ペプシ 生 ゼロ 600ml」は、価格が100円を切っているのである。コスパがよすぎるので、当分の間、外で読書をする際はこの「ペプシ 生 ゼロ 600ml」を買うつもり。

 伊藤洋志は『イドコロをつくる 乱世で正気を失わないための暮らし方』で、次のように述べている。

 イドコロをつくるというと、居場所をつくるようなイメージもあるだろうと思う。しかし、イドコロは自分が居るところなので、かならずしも知り合い同士が集まる場所でもない。公共空間に気に入った場所を見つけるのも一つのイドコロのつくり方である。つくるというより見出す。簡単なように思われるが、公園などの公共空間を使いこなせている人は多くないと思う。かくいう私も数年前まで公園の使い方はせいぜい花見に行くぐらいしかなかった。 p61

自然系イドコロ
●生活を共同する集まり(≒家族その他)
●(親しい)友人
●仕事仲間

獲得系イドコロ
●強い趣味の集まり
●公共空間の気に入った場所
●日頃通える小さいお店
●有志でつくるオープンな空間
●文明から離れて一人になれる空間

 うちの近くの池にはベンチが設置されており、誰もが利用することができる。春や秋は、読書をするにはうってつけである。うららかな陽光の下で本を読んでいると、気持ちも清々しい。だがさすがに、12月になると屋外で読書をするのは厳しい。そうなると、以前にも書いたが、スーパーの休憩所や、マクドナルド、モスバーガーなどを利用することになる。公民館というのは便利だけど、個人的にはあまり読書をする気にはなれない。学生がジュケンベンキョーをしていたりして、何だか息苦しい(というか、その公民館で、自分自身がジュケンベンキョーをしていたのである)。やはり本というのは、ある程度解放感のある場所で読みたいものである。経験的に、こういう場所は3つか4つ持っておくのがよい。生協の前のベンチを撤去してしまうようなわがまちだが、もっとパブリックスペースを増やしていただきたいものである(この郊外の住宅地で、新たな場を開拓するのも限界があるだろうよ…)。

師走。

 ニホンイシガメ・檸檬さんの冬眠用に、落ち葉のアク抜き。年々、広葉樹の落葉も遅くなっている感がある…。

 

 図書館で借りた本。

『隆明だもの』
『発信する人のためのメディア・リテラシー
『危険なトランスガールのおしゃべりメモワール』
『不機嫌な英語たち』
『ラブレターの書き方』

 晶文社しばり。借りる本に困ったときは、晶文社に頼る。あとは亜紀書房ちくま文庫に頼ることもある。じっくり読もう。

 先月は、毎日訳すということの難しさに直面した一月だった……。思えば、このお仕事をいただいてから、もうすぐで1年になる。ワタクシは今回のような、数年かかるような長期のプロジェクトに携わった経験がない(数か月携わったら終わりというケースがほとんどだった)。訳しても訳しても、新しい英語が目の前に姿を現す。このような終わりが見えない毎日では、気力を消耗する。そう、毎日訳すというのは、体力、忍耐力を要する仕事だったのである。先月は体力が切れて、さすがにキツかった。
 ただ、少なくともこの仕事を終わらせないと、本当に世に出したい本を出すことはできんのである。たとえ少しずつでも、一歩ずつ歩を進めていきたい所存。嗚呼、今年が終わる。