群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

風文庫さんの座談会

 先日は、芦屋の風文庫さんへ、本棚の借り主さんたちの座談会へ。テーマは、「本の値付け」について。私はほぼ、古本屋さんやメルカリで買った本を、購入した値段でそのまま出していたので、あまり値付けということを意識的にやってこなかったなあ、と。話を聞いていると、皆さん、本をどこで購入しているかという時点でかなり違う。例えばある人は、ブックオフのアプリで物色した本を、最寄りの店で取り寄せしてまとめて購入しているという。ブックオフは取り寄せに関しては、送料がかからないらしい…。いいことを聞いたと思ったけれど、そういえば、私の家の近くにはブックオフがないのだった…。家族が所有していた本を棚で売っているという人もいたし、本は新刊で購入して、また新しい本を買っていきたいから、読み終わった本は多少安くてもいいから風文庫さんでどんどん売りたいという人もいた。本の値付けの参照に関しては、アマゾンよりも日本の古本屋がいいという意見があった。日本の古本屋に出品しているのは実在する古本屋だから、少なくとも、実際の古本屋でそういう値段がつけられているという一例になると。最近はメルカリが幅をきかせていて、来店するお客さんのなかには、店で売られている本の値段をメルカリのアプリで調べたりする人もいるらしい。本屋に行くときぐらい、メルカリは気にしなくてもいいと思うんだけど…。これもスマホ社会の一つの側面なんだろうな。
 まあそもそも、本棚を借りている目的も人それぞれなので、値付けに関して「これ」という答えはないのだな、と。借り主さんなりの本の買い方や売り方が聞けた楽しいひとときでした。

 

コアオハナムグリ

 個人的に一番好きな甲虫であるコアオハナムグリさんがベランダに舞い込みました。バケツで溺れていたので救出し、エサをやっておきました(・∀・)
 コガネムシ科のスカラベ(フンコロガシ)は、古代エジプトでは糞を丸めて運ぶその姿から「太陽を運ぶ」と解釈され、「太陽の復活と再生」の象徴となったらしい。日本でもコガネムシは幸運や金運の象徴とされてきた。このコアオハナムグリは動きがまめまめしく、愛着を持っている。ワタクシとしては、彼(彼女?)には体を休めつつ、えさでも食べながら、しばらくうちに留まっていてほしい所存である。

さつまいもさんの植え付け

さつまいもの苗を植え付けました。植え付けた品種は、紅はるかです。
鳴門金時とかも売っていたのですけど、育て方の説明を読んだら、温暖で降雨量が少ない気候が必要とか、ミネラルをたっぷりと含んだ砂地で作られる必要があるとか、何か、地雷臭がしたので…。
去年、安納芋で大した収穫を得られず、懲りたので、今年はすべからく安全策。紅はるかにしました。
どんな育て方をしても、そこそこの収穫が得られるとか…(ほんまかいな…
これで、今年のプランター栽培の植え付けはすべて終わりました。
最初の収穫は、3月に植え付けたじゃがいもです。
6月になるのか、7月になるのか…。
楽しみです。

じゃがいも栽培の途中経過

じゃがいもの葉っぱ…かつてない茂り具合です!
これほど茂ったことは、これまでありませんでした!!
段階的に増し土、施肥を重ね、ここまで茂りました。
窒素を与えすぎると、葉ばかり生い茂り、イモに栄養がいかないという説もありますけど。
いや、しかし…今年はいけるんじゃないのか…(ΦωΦ;)?

『長い読書』

 島田潤一郎の『長い読書』読了。
 筆者は1976年生まれで、自分と2年しか生まれ年が違わないということもあり、とても親近感を持って読んだ。筆者ほど私は若い頃に読書や執筆にコミットしていたわけではないけれど、内省的な学生生活や聴いていたアルバムのタイトルなどが、いちいち自分の昔を思い出させる。例えば、次のような文章。

 レコファンで出会ったCDのことを書こうと思ったら、この本の三分の一はそれらの思い出で埋まるだろう。ぼくはこの店でサニーデイ・サービスの『東京』を買い、ベックの『オディレイ』を買い、フィッシュマンズの『宇宙 日本 世田谷』を買ったのであり、週に二日はこの店へと続く階段を急ぎ足でのぼっていた。 p30

 あとは、おそろしくシンプルな言葉を使って人の心に訴えかける文章を書くな、ということ。読み進めていくうちに、筆者はそのことに自覚的であることが分かった。いわゆる文体(スタイル)というものに自覚的なのだ。

 本を読みはじめたばかりのころは、難解な語彙や、カタカナで表記されるようなあたらしい用語に強く惹かれた。
 ぼくはそれらの言葉を言葉をノートに写し、積極的に自分の書くものに用いたり、文芸研究会の友人たちとの会話でつかったりした。
 二〇歳そこそこの大学生の目には、語彙が豊富で、修飾語などの表現が豊かな作家こそ、力量のある作家に映った。
 でも本を読めば読むほど、すぐれた作家とは決してそういう作家ではないのだ、ということがわかった。
 初めてドストエフスキーの本を手に取ったときに驚いたのは、その分厚い小説のなかに難解な語彙がほとんど出てこないことだった。
「あ、ぼくにも読める!」
 そう感じたときのよろこびは、いまも忘れられない。 p75

 ひとりの作家の本に惚れ込み、その文体に強く影響を受けるということはすなわち、その手持ちの限られた単語の意味合いが変わるということだ。あるいは、その一〇〇の単語の組み合わせ方がこれまでと変わるということだ。あるいは、その一〇〇の単語の組み合わせ方がこれまでと変わるということだ。「こころ」という言葉や、「自由」という言葉、「わたし」や「ぼく」という主語、「そして」や「しかし」、「とにかく」といった接続詞の意味合いまでが変わり、接続の仕方も変わる。
 すると、言葉で捉えられる景色が変わる。考えられる内容も変わる。ぼくは昨日までの言葉とは違う言葉の連なりで自分を理解し、未来を想像しようとする。 p76

 その後筆者は出版社を立ち上げ、こうしてエッセイが出版され、著作が世に出ることになる。
 ただ、夏葉社を立ち上げ、出版人として本を出版することで、小説家を目指していたときのような、物書きとして自分の本を出したいという思いはなくなっていたのではなかろうか。
 ときどき、大人になって物書きになる人とはどういう人なのか、ということを考えることがある。
 まあこの世の中だから、書こうと思えば誰でも書ける。私みたいにブログで書くこともできるし、ZINEで出版することもできる。
 才能で書いている人もいるし、物書きとしてしか生きられない人もいる。
 選ばれたとしか思えない人、何らかの力が作用しているとしか思えない人もいる。
 あとは、人との出遭いである。パートナーや恩師、縁がある人たち、大切だと思える人たちとの出会い。あるいはそういった人との死別が刻印となって、人を物書きにする。島田さんの場合は、長年の文章修行の経験をベースに、いとこの方との死別があって、出版人、物書きへの道が開けたのではないかと推測するのだけど。

栗田紘一郎さんのトーク

 先日は、三宮のギャラリー島田へ、栗田紘一郎先生のギャラリートークへ。ボタンダウンのシャツにジャケットというこざっぱりとした格好をされておられた先生は、何というか、もうこの人はアメリカ人だな…という印象。ソロ―に深く影響を受けた先生は自然をテーマに制作を続けておられて、3年ほど前に拝見した展示もすごくいいなと思ったのを覚えている。
 第一感の感想なのだけど、先生の写真は他の写真家の方の作品に比べて、わりと感情移入できる余地があったように感じたのだよな…。それはトークでもおっしゃられていたけれど、自分の心が動かされる対象に出遭うまでは撮影しないという、どちらかというと受け身的な態度にその理由の一端があるように思った。あと、トークで印象に残ったのは、徹底的に手間をかけた現像方法。詳しいところまでは失念したけれど、現像する過程において絶対に有機物が必要になるらしくて、先生は卵をお使いになるらしい。現代のスマホを含めたデジタル写真の技術は、世に現れてから普及するまでの時間が極めて短く、また写真になるまでの過程が見えないように作られていている、というようなお話もされていたけれど、先生のやり方は現代のデジタル写真とは対照にあるものだなと。
 ちなみにワタクシは、「略歴にある視覚心理学と先生のキャリアはどうつながっているのですか」という質問をしたのだけど、「あまり関係ないです」と一刀両断されました。うーん、この答えは、何となく予想していたな… 笑。何となく、こういう答えが返ってくるんじゃないかと思っていた。ただその後、人間の視覚と写真の視覚の違いについて、そして、なぜ自分は心理学をやらなかったのかということをわりと丁寧にお話くださって、興味深かったです。
 帰りの東門筋。最近は北野に寄ってから元町方面へ足を伸ばして帰ることが多いのだけど、久しぶりに東門筋を通って帰ったので懐かしく、写真をとってみた。17時過ぎだけど、この時季は、まだ明るい。

ミニトマトの植え付け

ミニトマトを植え付けしました。
今年は、例年植え付けているピッコラカナリアという品種に加えて、トスカーナバイオレットという品種を植え付けてみました。
実の色がぶどうのように紫色であり、皮が非常に薄くて柔らかいため、とても食べやすい、とのことです。
茄子かピーマンを植え付けようかとも思ったのですけど…毎年失敗しているので…今年は安全策で…。
今年の夏は、ミニトマトを食べまくります。
やはり、煮詰まったときには、土でもいじるに限るわ…( ´ー`)y-~~
そして、土をいじるのは、気晴らしにうってつけだわ…( ´ー`)y-~~

風文庫さんへ

 本日は風文庫さんへ、本の補充に(Hさんすみません、カメラを忘れたため写真お借りしておりますm(_ _)m)。

 phaさんの『どこでもいいからどこかへ行きたい』を面出ししたりして(本当は大原扁理の本と並べてみたかったw)。
 図書館で借りた本で面白かったものは、自分の棚に置いて他の人にも薦めてみたいから、改めて購入し直すときがある。こういう場合に購入先として利用するのは、主にメルカリだ。いわばメルカリは、僕にとって卸である。しかし自分が薦める本は思い入れが強すぎるのか、あまり売れないことが多い。以前、自分にとって3本の指に入るマンガ『めぞん一刻』を売ってみたくて、1~3巻を棚に置いてみたんだけど、これが見事に売れなかった(巻数が中途半端だったせいかもしれない)。『奇蹟の画家』なども、いまだに売れていない。こうした本に関しては、返品しようと思えば卸(メルカリ)を通じて返品できないこともない(返品時期がまったく読めないところが、この卸の難点である)。やはりメルカリは、自分にとって卸の役割を果たしている。
 こういうふうに、人に薦めてみたい本を自分の棚に並べるというのは、シェア型本棚における、小さいけれど確かな喜びである。疑似本屋さんごっこというか、ちょっとした書店員の気分を味わうことができるのである。

ベイカーパンツ

 最近、ユーチューバーの古着屋パンダさんに感化されて、現行の501を色落ちさせようと躍起になって履いていたワタクシ…。ズームミーティングのときにまで家の中で501を履いて、さすがに飽きてきたので、久しぶりにベイカーパンツを引っ張り出してきました。30代の頃はこれにボタンダウンのシャツなんかを合わせるのが好きで、よく履いてたな。メルカリでDENIMEのジーパンなんかを物色していたんだけど、ジーパンばかりでも何だし、これから先もベイカーパンツ、ちょこちょこ履いてみようかしらん…。気持ちはもう、ゴールデンウィーク

蟲文庫さんのポストカード

 先日倉敷で行った蟲文庫さんでつけていただいたポストカードの絵、武藤良子さんが手掛けられたものだった。お店の三十周年を祝うポストカード。長く続けることがすべてだとは言わないけれど、長く続けることは難しい。あの美観地区で三十年もお店を構えてこられたことは、やはりすごいと思う。下のマヌル猫の紙袋も味わいがあっていいよなあ。