群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

堤防が決壊するとき

以下の文章はとあるフリーペーパーに投稿したものだが、もう一案が採用になってこの文章が日の目を見ることはなかったため、本ブログに掲載するものである。

 僕は今、翻訳家になるため翻訳の勉強をしているのだが、専門学校の学費を貯めたいし、種々諸々の資料を購入しなくてはいけないしで、必然的に節約を余儀なくされている。飢え死にするとまでは行かないが、余分なものを買うお金がないほどには貧しい身の上である。
 普段は実家にこもって勉強しており、散歩や図書館にでも行く用事がないかぎりは外にも出ないので、特にお金もかからない。だが、一人で家にこもって勉強してると煮詰まってくる。たまには晩酌でもしたくなる。そういうとき、僕は近くのコンビニでビールを買ったりはしない。15分先の大型リカーストアまで自転車をこぎ、発泡酒を購入するのだ。これにより、コンビニでビールを買うよりも50円以上得ができる。
 休みの日は街にも出たい。うちは大阪から電車で30分ほどの場所にあるんだけど、正規で乗車券を購入すると片道270円、往復で540円もかかる。僕はそんな値段で乗車券は購入しない。自宅から10分のとなり街の、大阪まで260円の区間にある駅まで自転車をこぎ、さらにその街にある格安チケットショップで土日切符という、土曜日曜なら大阪まで210円で行けるチケットを購入する。これによって平日に最寄りの駅から乗車するよりも、往復で100円以上得ができる。
 もちろん小遣い帳をつけている。図書館でレンタルしたジャケットをコピーした代金10円も正確に計上される。たとえ、たまたま道ばたで拾った硬貨の金額が1円であったとしても、それは小遣い帳に計上されることになる。
 こういう涙ぐましいというか、積み重ねていくと総体としてはそこそこの金額になるかもしれないけど、一回一回ではその効果が見えにくい節約を、あまり外にも出ない、家にこもって勉強している生活のなかで続けていると、両者の要素が相まって、なんだか窒息しそうな予感を覚えてくる。僕は服を買ったりするのも嫌いじゃないので、たまにはセレクトショップで前から目をつけていたシャツの一着でも買ってみたいのものだが、現実にはユニクロで特別価格の日に、ポロシャツ一枚買うのにも決断するのに30分以上の時間を必要とする有様である。
 だが、堤防は決壊する。たまに知人との飲み会などに参加すると、3,000円以上は確実に支払わなくてはいけないのだ。「いや、僕ジンジャエールだけ飲んでます」なんて言えない(一度試みたことがあるのだが、さすがに周りの空気にいたたまれなくなり、途中で幹事に侘びを入れて、飲食への参加へと切り替えた)。
 普段張り詰めた節約生活を送っているなかで、3,000円などという金額を一度に使うと、たがが外れるというか、抑えこまれていた欲望がせきを切って一気に溢れ出してくる。そしてその後数日間、僕の買い物欲はそのエネルギーを思いのままにほとばしらせはじめる。もちろん12,000円のシャツを購入するなんてことはできないが、アマゾンのほしいものリストに入れておいた一冊500円の本を数冊まとめ買いしたり、カフェにビールを飲みに行ったり、わざわざ神戸三ノ宮までお気に入りのカレー屋さんのカレーを食べに行ったりする。
 増長した食指はヤフーオークションにも伸びる。前々から購入したいと思っていたパソコン用スピーカーへの入札を検討し始めるのだが、だんだんと値が上がっていくのを見ていると、このあたりでようやく荒ぶっていた買い物欲はなりをひそめてきて、そしてまた地味で息苦しい節約生活へと戻っていくのだ。
 こんなことを繰り返していると、もっと平均的にお金を使えないものかと虚ろな気分に陥らないでもない。そんな切羽詰まった節約生活をせずとも、たまにはカフェや喫茶店に行ったりして普段からガス抜きをしておけば、たがが外れたみたいにお金を使わなくてもいいんだろな、きっと。