群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「生誕100年・西村功展 ―しあわせを運ぶ人―」

 日曜日に見に行ったギャラリー島田「生誕100年・西村功展 ―しあわせを運ぶ人―」のこと。
 西村功先生の絵は何度かこのギャラリーで目にしていた。いい絵だなとは思っていたが、今回のようにまとまった形で目にする機会がこれまでなく、また西村先生のこともほとんど知らなかったため、『神戸・姫路の画家たち』(芝本政宣著・神戸新聞総合出版センター)という本を読んでみた。
 西村先生は、1923年に大阪に生まれている。3歳の時に悪性の中耳炎を患い、これが原因で聴覚を失った。大阪府立聾口話学校に通うようになり、中等部で美術教師の神山恒と出会う。絵の才能を見出され、展覧会への出品、中之島洋画研究所、そして美術大学への進学につながったようだ。帝国美術専門学校(現・武蔵野美術大学)に入学、1947年に卒業。両親の住む西宮に戻っている。初めて渡欧したのは1970年のことで、以後毎年のようにパリを訪れるようになった。1971年に神戸に居を移し、以後神戸を愛し、神戸市民から愛される画家になっていった。鴨居玲とも交流があったようで、トレーニング教室でともに汗を流したり、六甲全山縦走にチャレンジしたりしている。1976年には「僕の絵も、昔に比べたらだいぶん角がとれてきたけれど、いろんなものが入りこんでいて、自分自身まだまだ納得がいかない。そういうものを取り払って、絵に生まれたままの姿を取り戻すことができれば」と語っている。天真爛漫な性格で皆から愛され、画家としてもさることながら、良き家庭人でもあった。
 この本を読んで意外だったのは、先生が初めて渡欧したのは1970年のことで、これは47歳の頃であり、その作風を考えると遅い。てっきり若い頃からヨーロッパにお住まいで、向こうの絵に影響されてきたのだと思っていたのだが、そうではなかった。西村先生にかつて影響を与えたのは佐伯祐三であり、フォービズムだったのである。そこから脱し、自分の描きたいように描く境地に至った。晩年まで創作意欲は旺盛だったらしい。
 西村先生の絵は都会的で洒脱である。パリに憧れたのもよく分かる。『神戸・北野 White House コレクション展―金山平三から西村功まで―』という本で、西村先生が神戸を描いた作品を見ることが出来る。先生の作風は、モダンな港町神戸の風景とよく合う。先生と神戸は相思相愛の仲だったのだろう。街なかで先生を見かけると指を丸めて合図をしてくれたというエピソードも微笑ましい。そういう時代に自分も居合わせたかったものである。しかしそれを古き良き時代とするのではなく、まちの人の顔が見えるようなほどよい大きさと新しいものを生み出していく文化的土壌を、この街には留めていてほしいと思う。再開発などもあるので。