群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「坂の上の作家たち展」

 先日は、ギャラリー島田の『坂の上の作家たち展』へ。2016年に出版された山本忠勝さんの美術評論集『坂の上の作家たち ギャラリー島田という絶壁』で取り上げられた作家の作品を紹介するというもの。石井一男、上村亮太、笹田敬子、栃原敏子など、このギャラリーでおなじみの作家の作品がずらりと並び、眼福でした。ちなみに私、この美術評論集が出版された記念パーティーみたいなものに出席したことがあるんですよね(この美術評論集も持ってます)…。会場がほぼ絵描きや美術家の先生で埋め尽くされる中、何者でもない私がなぜか一人ぽつんと出席…。皆さんが一人ずつ、山本先生に評論を書いてもらったお礼や謝辞の言葉などを述べていくわけです。一人一言くらい何か言っていけやみたいな雰囲気になってくるわけですけど、当然私なんかが言えることはないわけじゃないですか…。冷や汗かきましたよね…。今となってはいい思い出なんですけどね…。
 上村さんは、4点ほど絵を出展されておられましたね。果物の実にスープをかけるような絵があったのですけど、あれは梅かな。一概に梅とは言い切れないのが、上村さんの絵のとらえどころのない魅力ですよね…。
 以下は、『坂の上の作家たち ギャラリー島田という絶壁』より。

男の底にある女の層のもっと下。女の底にある男の層のもっと下。じつはそこに男にも女にも共通の、つまり人間に共通の涙の海があるのだろうか。外見はいまはやりの”癒しの絵”のように見えるのだが、そうと見せかけながらこの画家は、その深い海からそっとこのアンビバレントなワンピースを引き上げてきたのだろうか。

 上村さんの絵というのは本当、不思議だよなあと思います。笹田敬子先生や井上よう子先生の絵を見て「美しい」と感じるのとは明らかに違う感情が、上村さんの絵を見るとわき起こります。絵というのは当然それぞれ違うのでしょうけど、特段上村さんの絵は、このギャラリーの他の作家さんの絵とは何かが違う。美しく描こうとか、そういう意識がそもそもない感じがします。どこか脱力的なものもあるし、毒気があるものもあるし…。本当、独特だと思います。C.A.P.が発行する『Capsule』の中で、「今の私、今の時代のなかで、それぞれが自由に感じて良いんだって思います」と魔神殿が述べています。美術作品というのは、鑑賞者の批評や感想によってのみ、意味づけられることが出来るのだと思います。見る鑑賞者によって様々な感想が出る、多義的な絵を描くこと。ひょっとしたら、上村さんの狙いはそういうところにもあるのかもしれないと勘ぐっています。