群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

『神戸、書いてどうなるのか』

 ちくま文庫から文庫化された『神戸、書いてどうなるのか』読了。喫茶店、中華料理屋、洋食屋、レコード店、古本屋、映画館などなど、一般に「オシャレ」とされている神戸とは異なる雑多な側面が描かれている。先日は、元町の1003さんで催された文庫化記念のイベントにも伺った。イベントでも話に出たけれど、単行本が出版された2015年から文庫化された今年の間に、なくなった店がかなりある(「丸玉食堂」については、冗談めかした文章があとがきに付け加えられているが、悲痛にも読める)。安田さんは、なくなるような店をわざわざ好み、足を運んでいるわけではない、とおっしゃられていたけれど、やはり、昔ながらの個人のお店が神戸でもやりにくくなっているのかな、とは感じた。トークで面白かったのは、兵庫県最大の前方後円墳ながら被葬者がわかっていないという、五色塚古墳の話。後は、松本隆さん、喫茶店「木馬」の話。「木馬」という喫茶店、個人的に前々から行ってみたいと思っていたんだけど、いまだに足を運べていない。だがトークの最中に、思いもよらず「木馬」の話が出てきて、急に身近な存在というか、地続きのものとして感じられたのだった。

「神戸の町の性格をひと口でいえば、その海洋性のあかるさにある。といってよいだろう。裏がえしていえば、陰翳の欠如であろうか」

「伝統の重圧がないから、新しいものを取り入れることが容易だった。刀よりピストルのほうが便利だとわかれば、誰憚ることなく、刀をすてることができたのである。ときには、かわりにすてる刀さえ、はじめからなかったのだから、よけい都合がよかった」 p150

 陳舜臣さんの『神戸というまち』からの引用、これまで何度か目にしてきたけれど、やっぱりこの箇所、好き。