群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

『アンダイング』読書会

 先日は三宮元町の1003さんにて、女性の乳がんに関する本『アンダイング』の読書会に参加してきました。そもそもなぜこの読書会に参加しようかと思ったかというと、今年に入って花森書林の森本さんが亡くなられたこと、またこれまでの人生で、40代に入って亡くなる方をポツポツと見てきたことなどがその理由としてあったのですが、本書を読むとがっつり乳がんの本であり(もちろんこの本は、様々な要素が入った本なのですけど)…。参加者の方もほぼ女性でしたし、医療従事者の方もおられたので、ワタクシはこの場にいていいのかしらん…という中での参加ではありました。
 ちょうど『人新世の「資本論」』を読んでいたこともあり、米国の営利追求の資本主義的な医療制度はひどいなと感じました。治療には莫大な金額がかかり、患者は自分はそこまでの金額を支払ってまで生きる価値のある存在なのかという思いにさせられる。必要のない患者にも乳がんの治療を施す。乳房温存手術の場合は手術当日退院、切除手術をした場合も合併症などのない場合は翌日の退院を強いられる。常に成長を求める資本主義は、誰かの犠牲の上に成り立っており、医療現場では患者がその対象となっている。ケアすべき患者が食い物にされているこの仕組みが、将来の日本の姿かもしれないと思うと、ちょっと洒落にならないなと。
 会場には実際に乳がんを患っておられる方もおられたので、そういう方のお話を聞けたのは貴重な経験でした。「医療システムの上にただ載せられて、自分はなにか決定らしきものをしたのかどうか、その辺りが曖昧というか、本書と重なる」というようなことを話されておられたと記憶しています。でも自分に置き換えてみると、病中にあって他の選択肢を模索し、医師に提案して…という作業は、すごく負担がかかることだと思うのですよね。果たして自分がそういう状況の中で何か出来るのか…と考えされられるところではありました。
 しかし、乳がんというのは男性もかかりますけど、女性が乳がんにかかるのと男性が乳がんにかかるのでは全然意味合いが違うと思うのです。私は男性なので、女性として乳がんにかかることは出来ませんし、乳がんを患ったパートナーを持ったこともなく、そういうパートナーに寄り添ったこともない。そういう実体験から話せないもどかしさみたいなものはありました。やはり乳がんというのは女性性と切っても切り離せなくて(というか特有の病気といっても過言ではなくて)、イデオロギージェンダー、政治性など様々な要因が絡み合う故に書きづらく、故にこのような本のスタイルになったのだと。参加者の方からは、この本すべてが分からなくて当然、という意見もありました。