群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「すこし低い孤高」

 香山哲・ラショウ「すこし低い孤高」を読む。2人による対談集で、"「500年に1度の天才」って感じで言う時の「孤高の存在」っていうより、もうちょっと(かなり?)低めの孤高の存在になろう!って感じの本”。

僕は、ある時期から「あんまり人と会わないで済む仕事」を優先してやるようになりました。職場で血液型占いみたいな迷信とかテレビ芸能人の話題が出るのがかなりきつくて、そういう職場の出来事にもやもや・イライラしてしまって余計な思考に時間を使ったり、体調に響いたり。

 ここはすごく頷けるところがあった。私が訳すことを志したそもそもの理由の一つには、一人で出来る仕事、ということがあった。テレビはもうほとんど見ないので、まったくついていけないし、お笑いの話題とかしんどい…。

 何かこの宇宙は「お題として」他者との関連性を求められているような気がしてならないんです。そうでなければこの世界は一つの意志、一個の魂があるのだけで良かった。なのにわざわざこのように心を別々に分け、違う考えを持ち、不自由な言葉を使ってたくさんのものが連絡を取ろうとしている。

 これについては、みんな多かれ少なかれ感じていることなのかもしれないな…。私も一人で出来る仕事を選んだのにも関わらず、なぜか感じることがある…。人類補完計画ってこれやなあ、と。主人公は一つの生命体になるのではなく、別々で生きていくことを選ぶわけで。
 私もあと一つくらい、「山」を持ちたいなあ…(訳すことさえまだ不十分なのは十分承知しておりますが…(=w=))。その山は、ぼやあっと見えているようでいて、見えていないようでいて…。
 今年はもう、ボーナスステージも終わったみたいです(=w=) 来年が見えてきたし、今年得たものを土台に、地道に一つひとつ積み重ねていく所存(=w=)