群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「夏の見える家」

永井宏の「夏の見える家」を読む。

ネオ・フォークロアという言葉をもう何年も前に思いついて、最近はなるべくその言葉をよく使うようにしている。それは、僕らの生きてきた時代の中から、ようやく日本独自の生活文化が生み出され、それが広範囲に根付いていく時代になったと思えるからで、これからの時代の新たな伝統文化として定着していくとも考えている。

八〇年代から九〇年代を通して、僕らはお金があることで得るものがたくさんあるという単純だったはずの答えを見失ってしまった。そしてそれは、逆に謙虚さを生み、背伸びしなくても、自分たちのサイズに見合った生き方をすることの中から、学んだり生み出したりすることの楽しさや美しさといったものの見方や考え方も新たな認識として育ってきたように思う。

「自分たちのサイズに見合った生き方」というのが文章からも伝わってきて、いいなあと思っていたら、著者略歴に「12 WATER STORIES MAGAZINE」の創刊者だとあった。このリトルマガジンは数年前にとなり町で購入したが、アメリカのペーパーバックを日本の雑誌として咀嚼したような感性があって、印象に残っていたのである。この人ならこういう雑誌を作ってもおかしくないよなあと腑に落ちた。永井宏については全然違う本で知ったのだが、まったく予期しない別々のピースが嵌ったようで、驚きもし感慨もあった。

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