群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「翻訳できない世界のことば」

「翻訳できない世界のことば」を読む。他の言語では一言で表現できない、その言語特有の単語が紹介されている。例えば、マレー語で"pisang zapra”というのは、「バナナを食べるときの所有時間」を意味するらしい。だれかに道を教えてもらい、歩き始めたとたんに教わったばかりの方向を忘れたとき、ハワイ語では"akihi"になったと言う。スペイン語で、シャツの裾を絶対ズボンの中に入れようとしない男の人は"cotisuelto"。日本語の「侘び寂び」は、「生と死の自然のサイクルを受け入れ、不完全さの中にある美を見出すこと」と紹介されている。
「はじめに」でも示唆されているが、言葉には「真実を、人の心がうつしだすわずかなものに減少させてしまう」一面がある。たとえば絵は絵として存在するのに、言葉にすると、元の存在とは少し違う限定されたものになってしまう。しかし本書を読んで感じるのは、言語や言葉が持つ多様性や美しさである。世界には多くの言語があるからこそ、その違いや習得を楽しみ、時には越境しようと試みたくなる。
 この手の「他の言語では一言で表現できないその言語特有の単語」や、日本語とはまったく発想の違う表現には、英文を読んでいても遭遇することがある。こういうのはしばらくウンウンと頭をひねることになるのだが、的確に意味をつかんで日本語で表せたら、その日の残りの間ほくそ笑んでしまうくらいに嬉しい。 

翻訳できない世界のことば

翻訳できない世界のことば