群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

見知らぬ言葉と判断力

 言葉といっても、初見では意味がわからなかったり、意味はわかるけれど自分で使うことはできなかったり、いろいろあります。僕は、意味はわかるけれど、自分で使うことができない言葉が多いということに気づき、一時期かなり単語を暗記しました。本などを読んでいて、知らない言葉が出てくると、メモをとり、暗記をし、風呂のなかなどで反芻するわけです。言葉を吸収することに終わりはないわけですが、とはいえ、少し使える語彙が増えた気はします。しかし最近、翻訳をしていて、もっと大切なことがあるんじゃないかと思うようになりました。それは、翻訳をしていて、類語辞典で普段あまり自分では使わない単語を探り当てたときなどに、文脈や全体的な表現レベルにそぐうように、ただしく使えるかどうか、ということです。
 類語辞典をひけば、たくさんの似た意味を持つ単語が載っています。それらの単語は、意味は似通っていますが、厳密には意味が違ったり、音の響きが違ったり、喚起するイメージが異なったりします。そもそも、普段自分が使う単語の量というものにはある程度限りがあります。類語辞典を引けば、普段自分ではあまり使わない単語をたくさん目にすることができるわけですが、そういった単語を翻訳において使用するときに、正しい意味で、文脈や全体的な表現レベルにそぐうように、原文の世界観をありありと再現できるように使うことができるかどうか。最近、これが翻訳において、大切だなと感じるようになりました。
 自分の訳文を客観的に見るというのは、なかなか難しいことです。音読したりもしますが、それでも完全に第三者としてその文章を判別するのは難しいものがあります。それでも、見知らぬ単語に出会ったとき、それが全体的な表現レベルにそぐうかどうか、原文の世界観を精密に再現できているかどうか、判断できる能力を培う必要があるのだと思います。こういうことは、一朝一夕にはできません。とはいえ、普段から意識していけば、じょじょに積み重ねてはいけるはずです。モチベーションが逸れたりしないよう、普段から意識を目的づけてやっていくことで、じょじょにステップアップしていきたいと思っています。