群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「ユートピアとしての本屋:暗闇のなかの確かな場所」

ユートピアとしての本屋:暗闇のなかの確かな場所」読了。千葉の本屋lighthouseの店主関口氏による、自らの生い立ちについて、ヘイト本について、そして本屋という場所についての本。

 つまり、私たちはすでに/常に政治的行動を主体的にしていることになります。本に限らず、生きることのすべてに関してのその都度都度の選択が、私たちの生活=政治に直結している。本屋=政治家と捉えた場合、あなたが買った本が本屋の品揃え=選書行為に影響を及ぼすことは、まさに政治運動の賜物です。本の取り寄せを頼むことは政策に対するリクエストをすることと同じですし、行きつけの本屋を変えたことは投票先を変えたことと同義です。
「政治のことを考える」と言うと難しいことのように感じてしまいますが、本質を突き詰めれば、「自分が幸せになるには?」を考えることと同じですし、それは私たちがすでに/常にやっていることです。つまり実際にはまったく難しくなんかないし、無自覚にできてしまっているくらい簡単なことなので、あとは意識的に実践するかどうかです。面白い本を見つけるぞ、と意識して本を探すほうが面白い本は見つかりますよね。ならば意識的に、「自分の幸せ=政治・社会を考えること」をやってみましょう。もう一度言いますよ。すでに私たちは政治的な振る舞いをしていますので、あとはそれを自覚的に=主体的にやるかどうかです。

 

 レベッカ・ソルニットは『ウォークス――歩くことの精神史』(左右社)の中で、街頭を「民主主義のもっとも大事な舞台」であると言います(364頁)。

ドイツが生んだ偉大な芸術家ヨーゼフ・ボイスは、金言あるいはマニフェストのように「誰もが芸術家である」という言葉を発していた。わたしは、誰もが芸術をつくるべきだ、という意味だと考えていたが、ボイスはもっと基本的な可能性を語っていたのではないかといまでは思う。つまり、誰もが観客ではなく参加者になることができる、誰もが意味の消費者ではなくその生産者になることができる、ということだ(これはパンク的なDIYカルチャーの〈ドゥ・イット・ユアセルフ〉=汝自身でなせ、という信条を支えるものと同じだ)。誰もがそれぞれの生と共同体の生をつくりだすことに参画できる、ということ。これは民主主義のもっとも高邁な理想にほかならない。そしてごくふつうの人びとが言葉を発することができ、壁に隔てられることもなく、権力者に介入されることもない場所である街頭は、民主主義のもっとも大事な舞台だ。(363-364頁)

 この「街頭」を「本屋」に置き換えてみても、まったく違和感のないパラグラフになるのではないでしょうか。本屋を運営する人はもちろんのこと、本屋のお客さんであるみなさんもまた、DIY=ドゥ・イット・ユアセルフの主体的な実践者になれる。