群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

他人との差別化

 森田芳光監督の「僕達急行 A列車で行こう」を先々週くらいに観ました。鉄道ファンである青年たちが描かれていて、じわっときたり勇気づけられたりと、大変いい映画だったのですが、そのなかでひとつ気になっているセリフがあって、いまだに僕のなかで消化しきれているとはいえないのですが、ずっと印象に残っているので、ここに書いておこうと思います。
 主人公の一人、鉄道ファンの小町(松山ケンイチ)は、いつも電車に乗っているときにヘッドフォンをつけて音楽を聴いているのですが、同じく鉄道ファンで、偶然小町と友人になったもう一人の主人公の小玉(瑛太)にそれを訝しまれ、ヘッドフォンをつけていたら自然の音が聞こえないじゃないかと訊ねられて、次のようにこたえます。

「他人との差別化というか……。鉄道好きって多いじゃない? 自分はこれだっていうものが欲しかったんだ」

 「僕達急行 A列車で行こう」は、結果的に森田芳光監督の遺作となったことを知っていたので、僕にはどうしても、森田監督が、実際に映画の世界でこういうふうに考えながらやってきたんじゃないかと思えてなりませんでした。とはいえ、森田監督は実際に鉄道ファンだったらしいので、僕の勘ぐり過ぎかもしれません。
 もうひとつ僕が考えていたのは、この言葉を翻訳に敷衍することはできるのか、ということです。翻訳においてほかの人と違うことを試みるというのは、あまり気にしないでいいような気がするし、僕は今のところ気にしていません。何よりも原文に忠実に訳すことが大切だと考えています。原文が各翻訳者というブラックボックスのなかを通って訳文として出るさいに、傾向は結果としてかかるのかもしれませんが、意図的にかけるものではないような気がします。とはいえ、僕はまだまだ駆け出しなので、傾向という言い方は変かもしれませんが、「原作者はこういう意図を持ってこう書いたと僕は思うから、こういうふうに訳す」くらいに思う場面は、この先出てくるのかもしれません。