今、レイモンド・カーヴァーの"Cathedral"(大聖堂)を翻訳しています。自分で原書を読み、翻訳し、できあがったものと、中公文庫で出ている村上春樹訳とを比較して、ここはもっとこうしたほうがいいんじゃないかとか、いろいろ比較したり考えたりするわけです。
カーヴァーの文章は、本当にシンプルです。僕レベルのボキャブラリーでも、ほとんど辞書をひかずに読めてしまいます。手の込んだ修飾とか、倒置とかあまり出てきません。でも、翻訳するとなると、逆にこういうムダのない英文のほうが難しく感じます。一時期、翻訳の先生のもとで勉強していた、"Seedfolks"を思い出しました。
がっしりとした断固たる文体を持つ英文を訳すときは、意味さえ把握できれば、日本語にしたときにも意外にそれなりの訳文になってしまう気がします。カーヴァーのようなシンプルな英文を訳すときは、断固たる文体を持つ英文のときも同じなのでしょうが、それ以上に、著者が言いたいこと、伝えたいことの総体をつかみ、まとめてアウトプットすることが大切な気がします。ガシッとつかむのです。
著者の言いたいことがガシっとつかめたら、文法の構造から解き放たれて、物語の世界観をありありと再現できるような訳文が書けるのかもしれません。僕はまだそこまでガシッとつかむことができないので、ここまで踏み込んでいいのかどうかとか、しまいには、てにをはをどうすればいいかなどと、神経症的に細部にまでとらわれてしまいます。
あますところなく掬いとるのです。想像したり、登場人物の気持ちになったり、情景を描写したりしなくてはいけません。そうすれば、細部にとらわれることなく、自由に、ありありと再現できるように訳せるはずです。
なかなか大変な作業だと思いますが、うまい人の訳文を見ると、こんなふうに訳せたらどんなにいいだろう、と僕は思います。素敵な写真を見たら、「この写真っていいなぁ」とは思いますが、そういうふうに撮れたらなとは思いません。こんなふうに訳せたらどんなにいいだろう、と思えるということは、少なくともその程度には僕は翻訳が好きなのだと思います。一歩ずつがんばりたいと思います。
Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)
- 作者: レイモンドカーヴァー,Raymond Carver,村上春樹
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1997/10/01
- メディア: 文庫
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