買ったときは一生使うとは思わなかったけど、ひょっとしたら一生使うかもしれない、オールドパイレックスのマグカップ。多分、もう10年ぐらい使っている。白いミルクガラスの質感がお気に入り。買った後はかなり大切に扱っており、しかし今ではとりわけ気を使うこともなく、日常に馴染んでくれている。幸い、今に至るまで特に欠けたり割れたりすることもなく、ミルクティーなんかを飲むときに重宝している。
今週のお題「一生モノ」
直接会ったことはないが、インターネット上で何となく気になる人というのが何人か存在し、飯田朔さんはそういううちの一人である。そういう人に関しては、今どんな感じで過ごしているのか、たまにグーグルで検索したりする。すると先日、飯田さんの初の著作『「おりる」思想 無駄にしんどい世の中だから』が1月17日に出版されることを知った。めでたいことである。
飯田さんは学生の頃、「吉祥寺ダラダラ日記」というフリーペーパーを発行しておられた。30代の頃、東京のみじんこ洞のオンラインショップで面白そうなミニコミを見つけると購入し、ついでにフリーペーパーをまとめて送ってもらっていて、その中に飯田さんの「吉祥寺ダラダラ日記」も入っていたのである。面白かったので、「吉祥寺ダラダラ日記」の総集編も購入した。その内容は、「将来のことがよく分からない」という、若い頃に特有のモラトリアムな気持ちが赤裸々に綴られたものだった。同じように、学生時代に将来何をやればいいのか分からず途方に暮れていた私にとって、それは強く訴えかけてくるものがあった。ただ飯田さんのフリーペーパーでは、異様におとなしい学生や大学への批判、そして平坦化する吉祥寺というまちへの嘆きも書かれており、そもそも将来が不安なわりにフリーペーパーを自分で作ってお店に配りにいくという行為は極めて積極的なものであり、若い頃に自分はそういうものを持ち合わせていなかったので、すごいなと思う気持ちもあった。
飯田さんは大学を卒業した後、批評を勉強したり、スペインに滞在したりしていたようである。今は日本語教師をしておられるのだろうか? 今回の「おりる」というタイトルから推察すれば、飯田さんは誰かを食い物にしてまでサヴァイヴしていくようなことは目指していないのだろう。「おりる」という姿勢は、同じように若い頃生きづらさを感じた者として目指すところであり、そしてメインストリームが極めて歪みおかしくなっている中、見失ってはいけないものだと思う。
去年の最終日、すなわち大晦日、ついに本棚を購入した。私の一年を変えた、というほどのものではないけれども。思い返せば、本の収納はこの十数年、常に課題だった。増え続ける本に対して自室には本棚が一つしかなく、そもそものキャパシティが絶対的に不足していたので、本を前後二段に並べたり、本を本の上に重ねて置けば解決する、というような問題ではもはやなくなっていた。売ることもできるものの、それ以上にこれからも本は買うだろうし、増え続けるだろうし、このあたりで根本的に問題に対処せねば、と思った所存。購入したのはニトリのオープン式本棚である。さて、この本棚、まだうちに届いていない。あの本はこっち棚、この本はあっちの棚…あれこれと頭をひねりながら本棚に本を配置していくのが今から楽しみである。
2024/1/14 追記
本棚が届いた。二段に並べていた本や床に置いていた本を収納したところ、すべて収まり、なおかつ余白の段ができた。本棚を一つ買えばこれほど収納能力が増えるのかという事実に驚くし、頭を悩ませるほど嵩張っていた本の分量も大したことはなかったのかなとも感じる。これで数年間は本の収納のことを考えなくてもよさそうである。今年も本屋に通うぞ~。
▲ ここに「買ってよかった2023」を書こう
先日は、芦屋の風文庫さんと三宮元町の1003さんの二店の本屋さんへ。新年のご挨拶を兼ねて。まあやっぱり、能登の地震の話になる。今、X(旧twitter)ではデマツイートというものが存在するらしい。どこそこで、ある人が閉じ込められているという投稿がある。そこの住所も載っている。そこで救急隊が向かうわけだが、そこにはそういう人はいない。今、Xでは一定のインプレッションを得ると収益が得られるらしい。だからそういうインプレッションを稼ぐためにデマのツイートを流す人がいると。そういう話のことはまるで知らなかった。なぜこういうときにそういうことをする人がいるのかと、暗澹たる気持ちになる…。ツイッターはかなりのメリットもあるものの、とはいえそれを求めてやるには、今は負の側面が勝りすぎている気がする。
風文庫さんで『スイーツ放浪記』、1003さんで『女たちが語る阪神・淡路大震災』を購入。今年も良い本との出遭いに恵まれますよう。
本日はとなり町の叔父叔母の家へ、毎年恒例の麻雀に行ってきました。2回やって、私は2位と3位。叔父がやたらと調子がよくて、どちらも1位でした。私は去年ハコったので、それと比べれば上々。2位に入るのも久しぶりだったので、素直に嬉しかったです。
なぜ今になってもこんなものを持っていたんだという話なんですけど、廃棄料金が高くて、長年捨てるに捨てられなかったんですよね…(6000円強した)。このテレビデオ、確か2000年過ぎに購入したものと記憶している。20代の頃はこのテレビで何本も映画を見たものだけど、最近は映画そのものを見なくなってしまい、アマプラですら解約してしまった始末…。大掃除シーズンですし思い切って業者に引き取ってもらいました。部屋がすっきりして気持ちも晴れ晴れしい。物を購入する快楽というのはあるんだけど、物を捨てる快楽というのも確かに存在すると思う。現に一つ片付いたら捨てたい欲求が高まってきて、長年使わず置いたままにしてある液晶ディスプレイやプロジェクターについても廃棄したくてウズウズしてきました。空いたスペースには本棚を新設する予定。ますます本や読書にとって快適な環境を整えていきたい。
12月17日、本庄西のギャラリー、iTohenさんへ、上村亮太展を見に。
上村さんの絵を見ると、なんだか不思議な気持ちになる。何というんだろう、上村さんの絵は全般に、個人的な好き嫌いを超えたところに存在している感じがする。いや、好きな絵もある。上村さんののろしを掲げる女性の絵は、とても好きだ。ただ、以前ギャラリーのトークで、上村さんの絵には物語があるようでない、という内容のお話を伺った。それとも関係しているのかもしれないけれど、上村さんの絵を見るときには、こちらの共感が外されるような不思議な感覚が伴って、それが上村さんの作品の魅力につながっているのかもと思ったりする。こうして見るたびに、上村さんの絵は一筋縄ではいかないなと感じる。やはり不思議で、魅力的な作家さんである。
12月15日、三宮へ、ギャラリー島田の井上よう子展を見に。
井上先生の絵は、絵そのものとしても極めて美しいのだけれど、希望を感じさせるものもあるし、喪失感を感じさせるものもある。それは矢印などのモチーフによるところもあるし、微妙な色の表現によるところもある。同じ青という色を使っていながら、これほど感受させられるものが違うのかと感心させられる。年を追うごとに表現が深まっていくようで、やはりすごいなあと思う。
その後、花森書林さんと1003さんに寄って帰宅。花森書林さんの「みんなの4コマ漫画展」、とてもよかった。プロの方からアマチュアの方までの作品が壁中に展示されており、壮観。絵描きの方の作品に関しては、普段絵を描いている方が4コマ漫画を書くとこういうふうになるのか、と興味深かった。皆さん、ギャラなしで参加しておられたということだけど、花森書林さんへの愛情が伝わる楽しくてパワフルな展示だった。お金が絡まない分、皆さん楽しんで描かれていたのかな、と思ったり。ちょっとトンカ書店時代の妙な熱気を思い出させる、ごった煮のような展示だった。
今年一年を振り返ってみると、個人的にかなりキツい一年だったのですが、年の瀬の12月に入って、少し来年に向けた動きがありました。バイト先(?)で、わりとベテランの方がやめるとかやめないとか言っていて気をもんでいたのですけど、新しい人を3~5人くらい入れるみたいです。これまでは私が新人だったので、来年はどうなることやら…。戦々恐々としています…。
あとは翻訳で、新しい案件に参加させていただけることになりました。文芸翻訳の案件で、下訳者として入るのかチームの一員として入るのか、そのあたりはまだよく分からないのですが、関連書籍を読むなどして備えたいと思います。問題は、この案件が1年とか2年とか、結構長期間に渡る可能性があることでして…。そんなに長期に渡って翻訳に携わったことがないので、自分、大丈夫かなあと…。でもまあ、そんなことを言っていても始まらないので、出来るところまでやってみたいと思います。2021年に自分を取り巻く環境が変わってから2年が過ぎましたが、じわりと変化を感じています。
産業翻訳者になってバリバリ働いて経済的に自立した生活を送るという、当初思い描いていたのとは違う生き方になっていますけど、「意思あるところに道あり」の言葉を信じて、引き続き努めていきたいと思います。そもそもにして、サラリーマンになって、週末は子どもとモールで過ごすなんていう生き方は出来ない人間なのですから…。