群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

そろそろ冬眠の準備

 イシガメの檸檬が、餌を食べなくなりました。今日の最高気温、25度くらい。例年、10月の2週目くらいに餌を食べなくなります。近ごろは朝晩肌寒さを感じるようになったし、今年の給餌はこれで終わりかしらん。これからはじょじょに、冬眠の準備をしていきます。この子は10月や11月に卵を生むことがあるので、注意して見守ってやりたいと思います。

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このお方は冬眠できないので、室内で冬を越します(=w=)

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美術の秋

 三ノ宮に、松原政祐さんの絵を見に行ってきました。

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 30代のときにこの方の絵を見たとき、細胞が沸き立つような高揚を感じたのを憶えている。その理由はおそらく(パンフレットの解説で知ったのだが)、この方の絵が生を肯定されておられるからだと思う。今回の展示で、鴨居玲に影響を受けておられたことを知った。暗い場所から生を肯定されたから、その力はいっそう強くなり、私も惹かれたところが大きかったのだろうな。

 帰ったら、注文した佐々木美穂さんのポストカードが届いていた。

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 色味が再現できなくて恐縮です(=w=) 素敵なポストカードをお送りいただき、とても嬉しい。今回は行けなかったが、いつか個展に伺いたい。身のまわりにじょじょに美術が戻ってきて、喜びをじわりとかみしめる。

「見栄を張る」

 アマゾンプライムビデオで映画「見栄を張る」を見た。
 主人公の絵梨子は東京で売れない女優をやっている。ある日姉の訃報が届き、故郷に帰って姉の子の面倒を見ているうちに、葬式で泣く「泣き屋」の仕事に携わる、という話である。絵梨子っていうのは、作る料理もカップ焼きそばばかりで、抱えてる彼氏にも食い物にされているような状態。そりゃ心から泣かない人に、泣く演技はできないよなって、その辺りの感じさせ方がメチャ上手い。故郷で親族と関わっているうちにジワジワと感情が通ってくる描き方がすごく丁寧で、いい映画だった。

死者の道を作るのよ。参列者を浄化するという意味もあるの。古事記日本書紀の神話のなかにも出てくるんだけど、泣き屋がお葬式で泣くことによって、あの世とこの世に通じる魂が通る道が出来ると書かれてるの。

お彼岸にこの映画を見れたのは、偶然ではないのかも。


『見栄を張る』予告編 【SKIPシティ国際Dシネマ映画祭2016長編部門】

ウルスラの絵

キキ「私、前は何も考えなくても飛べたの。でも今は分からなくなっちゃった」
ウルスラ「そういう時はジタバタするしかないよ。描いて、描いて、描きまくる」
キキ「でも やっぱり飛べなかったら?」
ウルスラ「描くのをやめる。散歩したり、景色を見たり、昼寝したり、何もしない。そのうちに急に描きたくなるんだよ」

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 思えばこのウルスラの絵というのは、子ども心ながらに、絵に不思議な力や魅力を感じた最初の経験だったな。

六甲まで

 お彼岸入り。お墓参りのあと、ブラリと六甲まで行ってきました。いや、ブラリとかウソです。セ●ンドストリートに行きました。セカ●ドストリートのためだけに六甲まで行くのもどうかと思いますけど、息抜きを入れないと潰れるので…。少しは、いや、いくぶん積極的に、楽しみの要素を入れたり見出したりしていきたいところです。というか、こんなこと、もう終わりにしたい…。
 久しぶりの六甲だったんだけど、やっぱりいいまちだ。商店街があって、坂があって、小さなお店がたくさんある。一度こういうまちに住んでみたいものである。
 思えば昨年は足を痛めていて、外出もままならず、家で燻っていたんですよね…。秋の好日にこうやってまち歩きができるだけで気持ちいい。余韻を消したくなかったので早々に帰宅。この一日を与えてくれた人に感謝也。

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「豚を盗む」

 引き続き、佐藤正午のエッセイ「豚を盗む」を読了する。どこまで本当のことを書いているのか分からない部分があって面白いんだけど、何度かぐっと心を掴まれた。以下書き留め。

 僕が特別なのではなくて、子供の頃に作文を書かされた経験のある人たちは、そしてその経験をいまだに憶えている人たちは(たいてい)みんな、当時の僕と似たりよったりの嘘をついたのではないだろうか。
 もっと言えば、たいていの人たちはその嘘をつくことに耐えきれず、作文というものに(子供心に)うさん臭さを感じ取って、以後、文章を書く機会から意識的に遠ざかってしまうのではないか。逆に、嘘をつくことになんとか耐えきれる人たち、つまり作文というもののうさん臭さに気づきながらもその中に嘘をつく余地というか余裕というか、いずれにしても自由という言葉により近いものを感じ取ってしまう人たちがいて、以後、意識的に文章を書くことを苦にしなくなるのではないか。その中から小説やエッセイを書いて、書き続けて、プロの作家になって、ある日ふと、いま自分がやっていることは小学校時代に書いた作文と同じだ、あれの繰り返しだと思ってしまう人間が出てくるのではないか。そのうちのひとりが僕なのではないか? p79-80

 僕は「中年の小説」を書こうと考えていた。今回はとりあえず若い人のことはどうでもいい。自分がもう若くはないと自覚した人々の小説を書く。もう若くはない人間として、生きていく。死なないで生きていく。覚悟を決めた男女の物語を書こうと僕は思った。p270

あたしたちの年代の人生はもうあらかた勝負がついてしまった。ときどきそう思ったりする。朝目覚めて、トイレの便座に腰かけていてふと、そんなふうに感じている自分に気づくことがある。普段は鏡を見てまだいけると言い聞かせているのに、気持ちも身体もずっしりと重たくなって動き出す気力もない。(……)いつから自分はこんなに冷めちゃったのかって思う。毎朝毎朝思ってもどうしようもないことばかり思う。そんなとき薬に頼ったりもする。なんとかトイレの便座から離れて、顔を洗って化粧をして通勤の服に着替えて、また新しい一日を始めようと気持ちをかきたててくれる薬を。エアロスミスもそれと同じ。アルバム一枚聴き終わると、どうにかこうにか立ち直れる。 p271

豚を盗む

豚を盗む

  • 作者:佐藤 正午
  • 発売日: 2005/02/04
  • メディア: 単行本
 

象を洗う

 引き続き、佐藤正午のエッセイ「象を洗う」を読む。軽快な表現に笑う。長年本を読んでいると、救われることもある。やっぱり、文章を書く上でユーモアというのは大事なんだなと感じる…。

 ほかの小説家はどう言うか知らないけど、ひょっとして、小説家にとってのいちばん幸福な時期は、小説を書き出す前にあるのではないだろうか。つまり僕にとっての二十代前半、好きなだけ映画を観て小説を読んでいられたあの長い長い休暇のような五年間。本屋さんで小説をまとめ買いしながら、いつかこの棚に自分の本が並ぶことを夢見られた頃。その夢だけで何とか毎日を乗り切っていけた頃。
 どんな夢にしろ夢は見終わった途端に醒めるものだから、その夢を見ているあいだこそがいちばん幸福だという言い方は、あたりまえといえばあたりまえの理屈である。
 そうすると当然、小説家にとっての二番目の幸福はその夢がかなった瞬間――最初の本が出版されて書店の棚に並んだとき――にしかないということになるだろう。こんなふうに考えてみると、僕は何だかうら寂しい職業に就いてしまったんだな、という気がしみじみする。なにしろ小説家として出発したときすでに、僕はいちばんの幸福と二番目の幸福を食いつぶしてしまっているのだから。
 だが、小説家にはまだ三番目の幸福が残されている。それは新しい本が出版されて本屋さんの棚に並ぶのを見ることである。次の作品を次の作品をと書き続けている限り、小説家にはその三番目の幸福を繰り返し味わう道が残されている。それ以外に道はない。というわけで、今回出版される『彼女について知ることのすべて』という長編小説は、僕にとって三番目の幸福にあたります。  p141-p142

象を洗う

象を洗う

  • 作者:佐藤 正午
  • 発売日: 2001/12/10
  • メディア: 単行本
 

Cさん

 10年以上前、ミクシィというSNSが流行っていて、見知らぬ人とメッセージのやり取りをすることに耽っていた。Cさんとはその頃に、何度かメッセージのやり取りをした。本が好きという共通点があったので、メッセージを出してみたのだ。会ったことはない。
 Cさんはどうやら、やりたいことを探しているようだった。数度メッセージをやり取りし、それじゃあ翻訳でもやってみたらどうですかと薦めた。Cさんはフランス語を勉強しているみたいだったからだ。そんなこと考えたこともなかった、とCさんは返した。だが何か月かあと、彼女は医療関係の学校で勉強を始めたようだった。何かが彼女のなかで動きだしたのかしらん、と嬉しくなった。
 それからしばらくCさんとは没交渉だったのだが、ある日久しぶりに彼女のミクシィを見てみると、何か様子がおかしい。ログインもしていないし、日記の更新もない。どうやら友人の紹介文から察するに、Cさんは命を絶ったらしい。
 会ったこともないのだから、分かるはずもない。でも、ひょっとしたら、と思った。ひょっとして、余計なことを言ったからこんなことになったのか。翻訳でもやってみたらなどと言わなければ、彼女はずっと本を読んで暮らしていけたのか。
 Cさんは最後のブログの投稿で綴っている。

なにか大きなことを成し遂げなくても、
淡々と毎日を生きていく人たちこそ、えらいんだと思う。

 30代のころ、エネルギーを持てあましていた。比喩でも何でもなく、自分の力のあらん限りを、この人生という舞台にぶちつけてやりたいと思っていた。しかし、そのすべては空振った。もはやぶちつけたい過剰はない。でも勤め人の生活ができないのは知っている。
 この10年で、Cさんとほぼ同じ数の本を読んだ。大切なのが数ではないことは分かっている。彼女は同じ本も繰り返し読み、そのたびごとに感想を綴った。でもCさんが読んだ本の数は、少なくとも一つの目標だった。
 このまま、ずっと本を読んで暮らしていけるのか。そんなことが可能なのか。それはそれで幸せそうだが、永久に続くはずがない。
 誰かが代わりに死ねばいいという問題ではない。だが、なぜあなたが死ななければならなかったのかと思う。 
 Cさんの友人に墓の場所を訊ねたが、返事はまだない。一度墓参りがしたい。  

カラーひよことコーヒー豆 (小学館文庫)

カラーひよことコーヒー豆 (小学館文庫)

  • 作者:小川 洋子
  • 発売日: 2012/09/06
  • メディア: 文庫
 

上村さんの絵

 上村亮太さんの絵を購入させていただいた。初めて上村さんの絵を拝見したのは7年ほど前のことである。個展のあと家に帰ってインターネットで調べたら、上村さんのホームページを見つけ、そこに載っていた抽象画に圧倒されたのを覚えている。今回、この素敵な夏の蝶を手元に飾れることは何より嬉しい。ありがとうございました。大事にします。

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