群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

「豚を盗む」

 引き続き、佐藤正午のエッセイ「豚を盗む」を読了する。どこまで本当のことを書いているのか分からない部分があって面白いんだけど、何度かぐっと心を掴まれた。以下書き留め。

 僕が特別なのではなくて、子供の頃に作文を書かされた経験のある人たちは、そしてその経験をいまだに憶えている人たちは(たいてい)みんな、当時の僕と似たりよったりの嘘をついたのではないだろうか。
 もっと言えば、たいていの人たちはその嘘をつくことに耐えきれず、作文というものに(子供心に)うさん臭さを感じ取って、以後、文章を書く機会から意識的に遠ざかってしまうのではないか。逆に、嘘をつくことになんとか耐えきれる人たち、つまり作文というもののうさん臭さに気づきながらもその中に嘘をつく余地というか余裕というか、いずれにしても自由という言葉により近いものを感じ取ってしまう人たちがいて、以後、意識的に文章を書くことを苦にしなくなるのではないか。その中から小説やエッセイを書いて、書き続けて、プロの作家になって、ある日ふと、いま自分がやっていることは小学校時代に書いた作文と同じだ、あれの繰り返しだと思ってしまう人間が出てくるのではないか。そのうちのひとりが僕なのではないか? p79-80

 僕は「中年の小説」を書こうと考えていた。今回はとりあえず若い人のことはどうでもいい。自分がもう若くはないと自覚した人々の小説を書く。もう若くはない人間として、生きていく。死なないで生きていく。覚悟を決めた男女の物語を書こうと僕は思った。p270

あたしたちの年代の人生はもうあらかた勝負がついてしまった。ときどきそう思ったりする。朝目覚めて、トイレの便座に腰かけていてふと、そんなふうに感じている自分に気づくことがある。普段は鏡を見てまだいけると言い聞かせているのに、気持ちも身体もずっしりと重たくなって動き出す気力もない。(……)いつから自分はこんなに冷めちゃったのかって思う。毎朝毎朝思ってもどうしようもないことばかり思う。そんなとき薬に頼ったりもする。なんとかトイレの便座から離れて、顔を洗って化粧をして通勤の服に着替えて、また新しい一日を始めようと気持ちをかきたててくれる薬を。エアロスミスもそれと同じ。アルバム一枚聴き終わると、どうにかこうにか立ち直れる。 p271

豚を盗む

豚を盗む

  • 作者:佐藤 正午
  • 発売日: 2005/02/04
  • メディア: 単行本