群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

Cさん

 10年以上前、ミクシィというSNSが流行っていて、見知らぬ人とメッセージのやり取りをすることに耽っていた。Cさんとはその頃に、何度かメッセージのやり取りをした。本が好きという共通点があったので、メッセージを出してみたのだ。会ったことはない。
 Cさんはどうやら、やりたいことを探しているようだった。数度メッセージをやり取りし、それじゃあ翻訳でもやってみたらどうですかと薦めた。Cさんはフランス語を勉強しているみたいだったからだ。そんなこと考えたこともなかった、とCさんは返した。だが何か月かあと、彼女は医療関係の学校で勉強を始めたようだった。何かが彼女のなかで動きだしたのかしらん、と嬉しくなった。
 それからしばらくCさんとは没交渉だったのだが、ある日久しぶりに彼女のミクシィを見てみると、何か様子がおかしい。ログインもしていないし、日記の更新もない。どうやら友人の紹介文から察するに、Cさんは命を絶ったらしい。
 会ったこともないのだから、分かるはずもない。でも、ひょっとしたら、と思った。ひょっとして、余計なことを言ったからこんなことになったのか。翻訳でもやってみたらなどと言わなければ、彼女はずっと本を読んで暮らしていけたのか。
 Cさんは最後のブログの投稿で綴っている。

なにか大きなことを成し遂げなくても、
淡々と毎日を生きていく人たちこそ、えらいんだと思う。

 30代のころ、エネルギーを持てあましていた。比喩でも何でもなく、自分の力のあらん限りを、この人生という舞台にぶちつけてやりたいと思っていた。しかし、そのすべては空振った。もはやぶちつけたい過剰はない。でも勤め人の生活ができないのは知っている。
 この10年で、Cさんとほぼ同じ数の本を読んだ。大切なのが数ではないことは分かっている。彼女は同じ本も繰り返し読み、そのたびごとに感想を綴った。でもCさんが読んだ本の数は、少なくとも一つの目標だった。
 このまま、ずっと本を読んで暮らしていけるのか。そんなことが可能なのか。それはそれで幸せそうだが、永久に続くはずがない。
 誰かが代わりに死ねばいいという問題ではない。だが、なぜあなたが死ななければならなかったのかと思う。 
 Cさんの友人に墓の場所を訊ねたが、返事はまだない。一度墓参りがしたい。  

カラーひよことコーヒー豆 (小学館文庫)

カラーひよことコーヒー豆 (小学館文庫)

  • 作者:小川 洋子
  • 発売日: 2012/09/06
  • メディア: 文庫