佐藤正午の「ありのすさび」を読む。いいエッセイ集である。どこかで読んだことがあるような文章でいて、確かなオリジナリティとユーモアがある。ちなみに「すさび」という言葉は、興にまかせてすること、あるいは成り行きにまかせることという意味らしい。
だが僕らが忘れてならないもっと重要なことは、短歌に限らず、何かを言葉で表現するときには、それが何であろうと必ず時間をかけて言葉を探す必要があるということなのだ。たとえばきみたちが日記をつける、友達に手紙を書く、そんなとききみたちは思ったことを最初に思いついた言葉で表現できるだろうか。やってみれば簡単に判ることなのだが、僕らはたった一つの言葉を文字にするためにも別の幾つかの言葉を思い浮かべて、その中から最も適切なものを選び取る。その一つひとつの積み重ねで文が生まれ、次にその文全体が適切かどうか判断し、適切と判断した文がつながってやっと文章が生れる。
僕が今日きみたちに言いたかったのはまさにこのことだった。僕らは普段「書く」という言葉を何げなく口にするのだが、それは実のところは誤った言い方で、もともと人は「書く」ことなどできはしない。できるのは「書き直す」ことだけだ。憶えておくといい。いつか、きみたちがもう少し大人になれば、このことを判るときが来るだろう。そのときができるだけ早く訪れることを願って、今日の僕の話はおしまいにする。 p222