群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

Sさん

 今年の4月で、先輩のSさんが亡くなって16年になる。Sさんとは1999年、アルバイト先で知り合った。家電小売店で修理品の受付をしたりする仕事だった。Sさんは当初、自分は20歳だと言っていたのだが、実は30代の後半だった。確かに何歳にでも見えるような顔つきだったのである。やけにベタベタと近寄ってくるので、そっちの人かと勘ぐっていたが、のちに女好きと判明する。
 このSさん、私にとてもよくしてくれた。世話を焼くのが好きだったのだろう。仕事帰りにみんなで王将でビールを飲んだり、焼き肉に行ったり、コンパやイベントに連れていってくれたりした。ファミレスで男2人でパフェを食べたこともある。私は当時、ひどくやさぐれた大学生活を送っていたので、どれだけ救われたかしれない。
 やたらと女好きで、話をするたびに、彼女とラブホテルに行ったと言う。頻度がさすがに尋常じゃなくて、みんなも薄々、Sさんは話を盛っているのではないかと思いはじめた。ラブホテルのほかにも、話が妙に大きいのである。私も、Sさんの話は5分の2くらいにして聞いておけばいいと思うようになったが、ラブホテルに関しては本当のことを言っていたのかもしれない。
 新地で初体験の紹介をしてくれたのもSさんである。いけない遊びである。おかげで私は一時、新地に上がるようになった。あるとき一緒に新地に行き、「今日はお金がないんです」と言ったら、「貸したろか」と言ってくれたこともある。私はその日、遊ぶつもりはなかったのだ。新地で上がろうと思ったら結構かかるのである。さすがに金は借りなかったが、そういうことを言ってくれることに驚いた。個人で床のワックスがけの仕事もやっておられて、たまに仕事を手伝ったら、バイト代をはずんでくれたこともあった。
 そんなふうに、私が一方的にお世話になっていたSさんとの付き合いも、長くは続かなかった。2004年、Sさんは41歳のときに白血病で亡くなったのだ。私はそれまで近しい人の死というものを経験したことがなかったので、その出来事は刻印となって深く刻まれた。葬式の日は4月とは思えないような暑さで、桜が満開だった。その日から、桜は私にとってただのきれいな花ではなくなった。
 今年の4月の命日を、私はSさんが亡くなった年齢と同じ41歳で迎える。41歳になるころには、私もいっぱしの職業人になるだろうと以前は考えていた。しかし、いっぱしどころか、職についてさえいない。不肖の弟子なのである。あれから、色々なことがあったようであり、なかったようであり、長かったようで短かったようで、その感情を言葉にするのは難しい。でも初めてSさんのことを書けるくらいには、年月がたち、私もSさん以外の人の死を経験したのだと思う。
 なお本人の名誉のために言っておくと、Sさんは仕事に関してはすごく熱心でした。そこは今でも尊敬してる。