群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

西村賢太氏逝去

 作家の西村賢太氏が亡くなった。え、西村賢太が? まだよく実感が湧かない。ニュースによると、タクシー乗車中に意識を失ったらしい。

マンゴーサワー一缶、緑茶割りで宝を三分の一本。
レトルトのビーフシチューと、シーチキン一缶。干し鮭、干し貝柱。
最後に、カレーパンを一個食べて寝る。 

明け方五時過ぎに終了して、晩酌の支度。
夕張メロンサワー一缶、月桂冠を冷やで五合。
目玉焼き二個と缶詰のウインナー、キュウリ一本、壜詰めの福神漬け。
最後に、久方ぶりに緑のたぬきをすすって、寝る。 

 西村氏の『一私小説書きの日乗』には、こんな感じで、延々と晩酌の様子が綴られている。私は氏の晩酌メニューをとても面白く読んでいたのだが、これだけジャンクな食事を続けていたら、やっぱりなあ…(血管系の病気じゃなかろうか?)。


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「いやまあ、そろそろ風俗行こうかなと思ってたんですけど、行かなくてよかったです」

 西村氏は2011年に芥川賞を受賞したが、記者会見で放ったのがこの言葉である。すごいやつが現れたと思った 笑。以来、私は西村氏の著作を愛読した。 

その何気ないはずの言葉に対してわき上がってくる激しい怒りをどうにも抑えきれなくなり、スプーンをカレー皿に放るとそれを持って台所へゆき、半分近く残っていたのを流し台の中に叩きつけてしまった。そして傍らのガスレンジの上の、カレーの鍋も、流しの中にぶちまける。熱い液体は四散し、私の服にも飛沫がかかった。

 西村賢太私小説作家である。それでまあ、私小説作家というのは基本的に自分のことを書くのだが、氏は自分の人生や暴力を一歩引いた視点から見て、その悲惨さをエンタメに仕立ててしまった。本人も認めているが、氏はこう言っているのである。お前たちよりダメな人間がここにいる、笑え、と。私は西村の小説を読み、笑い、救われた。
 西村氏が物書きとして世に出たのは、もうこれすべて藤澤清造のおかげと言ってよいだろう。氏はこの大正時代の私小説作家に惚れ込み、月命日には七尾にある清造の菩提寺に足を運び、ついには自分の部屋にガラスケースを設け、その中に清造の墓標を立ててしまった。清造の没後弟子も名乗っている。小説中で西村氏の分身である主人公の北町貫多は、清造の資料を血眼になって収集していくのだが、不思議にそういう人間の元には、清造の資料が吸い込まれるように集まっていくのである。西村は藤澤清造に心酔することで、芥川賞への地下水脈を掘り当ててしまったのだろう。
 まあでもこういう人だったから、西村賢太は好き嫌いの分かれる作家だろう。私も親戚や女性の前で「西村賢太が好き」と口にするのは憚られるところがあった。だがその、西村の小説が好きと口に出すことの気恥ずかしさや、言い訳をしなきゃいけないときの疚しさも含めて、氏の小説が好きだった。54歳の若さだった。西村賢太氏のご冥福を心からお祈りする。 

苦役列車

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