群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

満員の電車のなかの葛藤

 満員の電車のなかで立たれているご年配の方がおられたら、それとなく目でサインを送ったり、「あ、どうぞ」と声をかけたりして、なるべく席を譲るように心がけているつもりである。だけど僕はその日によってわりと気分にムラがあるから、なんとなく気持ちがふさいでいて、今日は満員になっても声はかけられそうにないなと思ったら、そのときは電車の座席に空きがあっても、満員になったときのことを想定して、前もって立っているようにしている。このあたりの気配りというか気の小ささは、われながらなかなかに涙ぐましいものがある。とはいえまあ、僕は電車のなかで席を譲るのにやぶさかでない人間といっていいと思う。
 ところが困るのが、目の前に立たれた方が、席を譲るべきなのか譲るべきでないのか、自分の基準のボーダーライン上におられる場合である。これは誰もが経験のあるところではないだろうか。老けたご様子でもかくしゃくとしておられたり、容貌は若くあられても足もとはおぼつかなかったりで、この方に声をかけていいものかどうか、六十、七十歳を過ぎても人間千差万別である(日によってはこういうケースを想定して、前もって立っている場合もある)。
 この前困ったのは、目の前に女性の方が立たれたんだけど、お腹が少し出ているような、出ていないような、なんとも中途半端な具合なのである。「妊娠されておられますか」とも聞けないし、聞いたところで妊娠しておられなかったら失礼どころでは済まないし、そのときはひとしきり悩んだんだけど、このまま黙っているのは性に合わない、とにかく行動あるのみと意を決してその女性のほうを一瞥し、目が合った瞬間に出た言葉が、「されておられますか?」だった。その女性はやさしく微笑んで、目で「違いますよ」サインを送られたので、とりあえず僕が座席を譲るにはいたらなかった。まあこちらの意図は通じたわけだけど、あの「されておられますか?」は相当ぶしつけな言い方だったのではないかと、あとから考えて冷や汗が出た。聞く人が聞いたらセクハラになるんじゃないか。となりに座っていた人も、何が起こったのかいぶかしげに思っていたかもしれない。されておられるって、一体何をしているのだ。意味不明である。おまけに妊娠もされておられなかったので、ひどく失礼である(実は妊娠しておられたけれど、席は譲っていただかなくてけっこうですよという意味だったのかもしれないけれど)。ああいうときにとっさに気の利いた一言が出る人にはとにかく羨望の念を覚えるしかないんだけど、僕には百年たってもそんなことはできないとわかっているから、それが「されておられますか?」であっても、僕にできるのは声をかけることだけなのである。