群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

無意識の戦慄

 僕は学生のときから映画を観はじめて、今でも週に一度くらいの割合でレンタルで映画を観るんだけど、困ることがひとつあって、それは、観ている最中にまったくべつのことを考えてしまって、気がついたらストーリーについていけなくなってしまうことである。ビデオやDVDで映画を観ているとこういうときに便利で、ストーリーについていけなくなったら横道にそれたところまで巻き戻せばいいんだけど、回数が多くなるとそのたびごとに巻き戻しをすることになるので、一体自分が何をやっているのかよくわからなくなることがある。
 映画を観ているときにわざわざほかのことを考える必要などあるわけがなく、またそうしたくもないんだけど、知らないうちに映画の内容と全然関係ないことを考えてしまうのである。あれは、ほかのことを考えてしまうというよりも、無意識に食われているという感覚である。
 これは数年前のことなんだけど、朝起きて朝食を済ませたら、部屋の掃除をすることが習慣になっていて、自分の部屋を掃除した後はリビングに掃除機を持っていくんだけど、自分の部屋の掃除が済んだ後、なぜか掃除機を戸棚に戻してしまったことがあった。これも無意識で行動していた一例である。
 横尾忠則さんは昔から三叉路の絵を描かれているんだけど、最近その三叉路が溶けてきた、それは自分の無意識の領域が大きくなってきたからだ、などとおっしゃっているのをテレビで見た。でも僕は横尾さんより全然若くて、今30代の半ばである。もし60まで生きたらどんな感じになるんだろう、なんかもう無意識に食いつくされてお化けみたいになっちゃうんじゃないのか、などとテレビを見ながらそこはかとなく背筋の冷たい思いをした。