群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

四連発の衝撃

 僕は関西に30年以上住んでいる。そして、25年以上、西武ライオンズを応援している。関西は野球が盛んな地域だから、いぶかしげな目で見られることもある。なぜライオンズを応援し続けているのかというと、これはとあることがきっかけで、相手チームを応援するのが好きな僕のあまのじゃくな性格が刺激されたことと、今でも忘れることのできない四本のホームランによって、決定的にそのチームへの好意が強化されたことによる。
 小学生だったとある一日。その日は、友だちや親たちと一緒に、今はなき西宮スタジアムに、阪急ブレーブスの試合を観戦に行った。当時ブレーブスには、ブーマーとかアニマルとか、名前だけで圧倒されそうな外国人選手たちが在籍していて、まるでプロレスを観戦に行くような興奮があった。
 僕たちは野球も見ていたけれど、鬼ごっこをしたり、マクドナルドで買ったハンバーガーを食べたり、めいめいに球場の雰囲気を楽しんでいた。
 試合の途中、相手チームのある選手がバッターボックスに立った。すると、親が僕に説明をしてくれた。あの選手は清原といって、ジャイアンツというチームに入りたかったんだけど、桑田という腹黒い友人の裏切りでかなわず、このライオンズというチームで野球をやっているんだと(意訳)。
 この話に僕はいたく感じ入り、たった一打席にして清原のファンになってしまった。みんながブレーブスを応援するなかで、どこか背徳めいた胸の内で、清原の名前をコールし続けた。
 そして、あの決定的なダブルヘッダーが訪れた。僕はまだパ・リーグセ・リーグの違いも、一リーグにいくつのチームがあるのかも、ゲーム表をどう見るかもよくわかっていなかった。でも、そのゲームはとても大切なゲームらしかった。一試合か二試合で優勝の行方が決まってしまうほど、大事なゲームらしかった。僕はテレビの前で固唾を呑んだ。
 その相手チームの選手の名前はラルフ・ブライアントといった。ライオンズはそのダブルヘッダーで、ブライアントに四本のホームランを打たれた。一本は満塁ホームランだった。あのときのホームランはいまだに覚えている。そして、くじかれた心のみじめさも。ライオンズは、ブライアントの四連発で、優勝の夢を打ち砕かれた。
 ブライアントのホームランでくじかれた心は燃え上がり、そのエネルギーは西武ライオンズへのより強い共感へと僕を駆り立てた。僕はじょじょにチームの名前を覚え、選手の名前を覚え、野球のルールやペナントレースの仕組みを理解していった。
 すると、この西武ライオンズというチームが、とても強いチームだということがわかってきた。もともと弱いチームを応援するのが好きなはずの僕は、実は、常勝チームと呼ばれる、野球史でも類まれなく強いチームのファンになっていたのである。
 でも、おかげで小学生・中学生のころは、ずいぶんといい思いをさせてもらった。ライオンズは何回も優勝した。日本シリーズでライオンズを応援するのは秋の風物詩みたいなものだった。日本シリーズではジャイアンツに、カープに、スワローズに勝った。秋山のバク転も見た。少年だった僕の脳内ではずいぶんとドーパミンが分泌されたことだろう。
 でも盛えあるものがいつかは衰えていくように、ライオンズもその例にもれず、工藤が去り、秋山が去り、石毛が去った。清原がFAをしたときは迷ったけど、さすがにジャイアンツを応援する気にはなれなかったから、ライオンズを応援し続けた。毎年のように優勝することはなくなったし、Bクラスに落ちることもでてきたけれど、選手の育て方がうまいライオンズは高い確率で優勝争いに絡んで、僕の日常に刺激を与えてくれる。もうすりこみみたいなものだから、これからもずっとライオンズを応援していくことだろう。
 先日、京セラドームでラルフ・ブライアント氏のトークショーがあった。ブライアント氏はいくぶん恰幅がよくなり、人好きのしそうな老け方をしていた。トークショーが四連発の話題で盛り上がるなか、僕は心のなかで話しかけた。「ブライアントさん、ありがとう。あなたの四連発のおかげで、僕は25年以上ライオンズファンをやってこれましたよ」
 それは嫌味でもなんでもなくて、僕の素直な気持ちだった。20年以上たって、相手チームのファンにいまだ鮮明な印象を残し、愛されてさえいる野球選手がどれだけいるだろうか(しかも、外国人選手で!)。あの四連発は、それほど鮮烈だったのだ。