群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

福満しげゆきさんの自己イメージ

 福満しげゆきさんのファンである。だいたい新刊が出たら購入しているし、楽しく読ませていただいているんだけど、読んでいるうちに気になるのが、福満さんの自画像である。
 自画像については、ご本人も作品中で描かれておられるが、あまり似ていないとの指摘から読者からあるらしい。ご本人なりの反論も単行本で描かれている。
 僕が思ったのは、自画像に福満さん自身の自意識が反映されていて、面白いなということである。
 まわりにほとんど友人もおらず、将来に対してそこはかとない不安を抱いていたころの福満さんが描かれていた自画像が、以下のものである。

 目が不必要に大きく、不安げで神経症的な内面を窺うことができる。つまり、これが、その当時、福満さんがご自分に対して持っていた印象そのものなのである。本人に似ているか、似ていないかはあまり問題ではない。福満さんはその当時、ご自分にこのような神経症的でナイーブな自己イメージを抱き、それが投射されて、上図のような自画像になっているわけである。 
 福満さんは、その後紆余曲折あるが、アタックしていた女の子と結婚し、モーニングなどにも連載を持ち、マンガ家としての地歩をかためつつ、ついには子どもを授かる。いったんは俗世からドロップアウトしながら、福満さんなりに"社会化"されていくわけである。下が、子どもを授かったあとの福満さんの自画像である。

 ここには、以前のような"神経症的"で"ナイーブ"な青年的自己イメージはない。編集者や両親、親戚などと葛藤しつつも、それをあしらい、対等に渡り合っていけるだけの成年としての人間の"社会性"が自己イメージとして投射されているのである。
 このように、福満さんのマンガを縦断して読んでいると、"自己に対して抱いているイメージの変容"が読みとれて、とても興味深い。