群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

財布

 財布を新調しました。先代の財布は7年ぐらい使用して、さすがに最近金運の低下を感じていたので…。これまでは必ず茶色の二つ折り財布だったんですけど、今回は何となく黒にしてみました(年齢的な感覚?)。でも新調した途端に新しい仕事が入ってきたので、財布は定期的に買い替えたほうがいいというのもあながち迷信ではないのかもしれません。
 でも、財布を新調すると入れる場所に悩みます。使い慣れている財布なら、何も考えずにジーパンの後ろポケットに突っ込めばいいんですけど、新調仕立ての財布を後ろポケットに入れるのは歪みや傷が気になって…。かといってトートバッグに入れたりするのも、なくすのが怖いんですよねえ。うちの親父なんか後ろポケットに長財布を突っ込んでいたけど、今から考えるとよくやってたよなあと… 笑。
 この財布がさらなる(金)運につながりますようにm(_ _)m

万引き

 ぼくが書店に来て十八年になるが、恥ずかしながらこの間、一度もぼく自身の手で万引きを捕まえたことがない。ぼくは、「万引きに注意しろ」と言う係。捕まえるのは社員諸君と決まっていた。
 この前なんか事務所に入っていくと、なんか顔なじみのおっさんが立っとる。思わず「いらっしゃいませ」と挨拶しかかったら、なにか変な雰囲気が漂っとる。万引きの常習犯を捕まえたところだったんですね、これが。
『無愛想な蝙蝠』より

 こんなん笑うわw。
 自慢じゃないけど、私は生まれてこの方、万引きというものをしたことがない。100円の消しゴムどころか、10円のチロルチョコ一個盗んだことがない。周りのクラスメートはほとんどが万引きしていた。後に教師になった奴も、コンサルタントになった奴も万引きしていた。こういう環境(あるいは自身の性格)故に、自分の思春期は帰結的に「生きづらかった」ということになる。
 仮に思春期の万引きを、飲酒や喫煙と同じく「子供から大人になる過程で求める逸脱的行為」と捉えるなら、私はその機会を逸したことになる。思春期には多少やんちゃな方が健康的とも言える。私は多少いびつな大人になってはしまったが、金銭的には(異常なまでに)潔癖だし、まあやりたいことをやっているから、こうなるより仕方がなかったのかなあとも思う。同じ中学と言っても、山手の学校になれば万引きもなかったというから、環境に恵まれていれば、お店から物をくすねるようなクラスメートと出会わずともすんだんでしょうけどね。飲酒や喫煙はともかく、万引きという言葉には今でも嫌悪感がある。

鉄腕アトム

 個人的に好きなまちといえばもっぱら三ノ宮で、こと自分が暮らしているまちに関しては、郊外地だし、真面目にお勤めしている方が多いし、文化的に不毛だし、44年間の人生のうち40年近くを過ごしてきたせいで、楽しい思い出も不快な経験も堆く積み重なって地層を成し、愛憎入り交じるというか、とりたてて好きだと口に出しては言えないところがある。でも、そんな自分のまちを好きに感じるときがある。それは土日の正午に、まちなかに「鉄腕アトム」のミュージックチャイムが流れるときだ。これはスピーカーの訓練放送をするために、土曜日曜の12時にかぎって「鉄腕アトム」を流しているらしい(平日は17時に「すみれの花咲く頃」を流しているらしい……知らんかった(=w=;))。
 自由な土日の日中に、ふとあの「鉄腕アトム」が流れてくると、柄にもなく、ちょっぴりと誇らしい気持ちになる(とはいえこのチャイム、自宅にいても気が付かないので、聞けるとしたら阪急に乗って出かけるときなど外出時に限られるんですけどね)。

https://www.city.takarazuka.hyogo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/029/107/atom_2020.mp3

「杉山知子展」

 先日の日曜日は、ギャラリー島田の「杉山知子展」へ。んー、絵の感想を文章で書くのは本当に難しいのだけど、やはり何か書いておかねばなるまい…(プレッシャー…)。
 作品としては、地上階展示の雑誌のコラージュ群と、ご自身の絵を断片にして上から見た街のように構築した作品群、そして地下階展示の自然を題材にとった作品群。全然違ったことをやっておられるようだったけど、共通して感じたのは色がきれいだということ。本当にカラフルで、きれいな色だった。そして地下階の自然を題材にとった作品は、とても楽に、自由に描かれている印象を受けた。へんてこな形のオブジェや、アボリジナルアートみたいな絵もあったな。
 このギャラリーに通い始めて7年ぐらいになるんだけど、こちらの絵に対する見方も少しずつ変わってきた気がするな。前は一瞬で心をかっさらってくれるような、洲之内徹が言うならば「盗んでも欲しくなるような絵」が好きだった。それはたとえば松本竣介の『街』であり、高橋由一の『豆腐』のような絵だった。そしてこのギャラリーでも、そういう心をかっさらってくれる絵を多々見せていただいた。でも、作家の方によって表現方法は様々だし、作品によっては特定のテーマやコンセプトの上に成り立っているものもあり、それが結果として「心をかっさらうような絵」にはならないことに最近気付いた気がする。だから、この作家さんはこの作品を通じてどのようなことを表したいんだろう、何を伝えたいんだろうと考えるようになったんだけど、やはりその真意を測ることは難しい…。考えすぎると鑑賞者として自由な見方が出来なくなるようで、そこのところの兼ね合いはまだまだ難しい。
 しかしこの日は、妙に魔神殿の愛想がよくて…。何だったんだろう…。『無愛想な蝙蝠』という本を買ったばかりだったから、かなり身構えて行ったんですけどね…。

檸檬さんの産卵

 ニホンイシガメの檸檬さん、今年初産卵してました。合計6個。半分くらいは自分で食べてましたけど…。もう毎年冬眠したり産卵したりが当たり前のようになってるけど、この子がそばにいてくれることのありがたさを忘れないように。感謝を込めて。

三ノ宮へ

 三ノ宮へ。あまりにお腹の不調が長引いていたため、生田神社へ茅の輪くぐりに。その後、ギャラリー島田の南輝子展へ。南さんと思しき方にお茶を勧めていただいたんですが、この1週間ほぼポカリスエットしか飲んでいなかったワタクシは辞退することに…。悪いことをしてしまったな…。
 それで、ギャラリー島田に置いてあった南輝子さんの歌文集『神戸バンビジャンキー』だけでも、せめて1003さんか花森書林さんで買おうと思って元町方面へ向かったのですが、何とどちらのお店にも置いてない! 代わりに高野卯港さんの画集と世田谷ピンポンズさんのエッセイ集を買って帰りました。『神戸バンビジャンキー』を買えなかったのは残念だったけど、まあ、また次回機会があれば買うことにしよう。
 南さんの個展は、仏教的なものが背景にあるのかな、不思議な生命観を感じる絵でした。というのは実際に背景に仏像っぽい描き込みもあったし、あとは赤が使われていながらも過剰といった感じではなくて、どこか異国めいているというか。でも白い花と赤色からなぜ仏教を感じたのかな。花も蓮とかではなくて確か蘭だったと思うんだけど。直感で感じただけとしか言えないんだけど、その辺りも南さんの本を読めば分かるのかも。
 色々お話も出来て楽しい一日だったな。しかし直接お会いしたことはないのに、なぜか高野卯港さんの視線を感じた一日。

さつまいものポット苗

さつまいものポット苗を探していたこの数週間…。近くの園芸店に行っても神戸のコーナンに行っても見つからなかったんだけど、ようやく! 運良く! 見つけました!

 

この機会を逃してなるものか…と即購入、植え付け。

( ゚∀゚) アハハハハノヽノヽノ \ / \ / \

ポット苗を直接植え付けてもお芋さんは出来るのである。実証済みである。
ただちょっと植え付け時期が遅いかな…。そこが少し気になるところ。
これも天の配剤と思いたい。