群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

『ダンチッヒ小路』について

 先日購入させていただいた、西村功先生の『ダンチッヒ小路』について。

 ふと湧いた疑問。『ダンチッヒ小路』って何ぞや、と…? 「小路」っていうわりには、描かれているのは洋館だし…。よっぽど問い合わせようかと思ったんだけど、インターネットで調べたらいろいろと詳細が記されていた。
 西村功先生のリトグラフ作品『ダンチッヒ小路』についての説明より引用。

ダンチッヒ小路の館

モンパルナスの近くにある。貧しい外国人の住んだところといわれている。ポーランドからキスリングが、ロシアからシャガールが、イタリアからモジリアニが、エコール・ド・パリと呼ばれる時代の人たちが、ここで制作していたらしい。
円に近い多角形の古いアパルトマンで、古い歴史を偲ばせる静かなところである。レジェも4年間過ごしたといわれている。

 やはり、ダンチッヒ小路ではなく、ダンチッヒ小路の「館」だったのだ。
「モンパルナス」「画家」「洋館」などのキーワードで検索してみた。どうやらこの建物は、ラ・リューシュ(蜂の巣)という館らしい。

ラ・リューシュ(La Ruche、フランス語で「蜂の巣」の意)は、パリ15区にある集合アトリエ兼住宅である。1920年代に芸術家がコミューンを形成したモンパルナス地区の南側に位置し、エコール・ド・パリの画家・彫刻家が集まった場所として知られる。ラ・リューシュはアール・ヌーヴォー様式の3階建てロタンダ(円形建築物)で、当初は約140室を備え、中央の大広間では作品展示会「ラ・リューシュ展」が行われた。また、モデルを雇って画家たちがデッサンをする「アカデミー」と呼ばれる部屋や約300席の「リューシュ・デ・ザール」劇場もあった。 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A5より引用

 まさにこの館である!
 1920年代に、パリにはエコール・ド・パリと称される外国人芸術家たちが存在し、この「ラ・リューシュ」は、なかでも貧しい作家たちが集まった建物らしい。この時代のことは、本で読んだことがある。フジタがキキを描いた同時代のパリに、この建物はあったのだな。階段のある丸い建物の中に放射線状に部屋が位置したため、蜂の巣(ラ・リューシュ)と呼ばれるようになったという。実際に部屋が借りられていたのか、活動拠点とされていたのかは、よく分からないところがあるらしい。 

 あと一点気になった箇所…。A.P.とは? これも検索したらすぐに出てきた。寡聞にして知らなかったが、A.P.とは"Artist's Proof"の略で、作家保有用の版画作品を指すらしい。
 西村先生が実際に所有していたのかどうかはよく分からない。そもそも企画したのが海文堂ギャラリーみたいなので、海文堂ギャラリー側が持っていたものなのかもしれない。何はともあれ、縁あって我が家に来てくれたのだから、大切にさせていただこうと思う。ちょっと青味がかっているところも気に入っている。