群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

物語に対する冒とくへの反論

 先日、とある批判を耳にしました。「作家」に対する批判です。それは批判というよりも、稚拙な罵りであり、それでいて抑圧的で悪意があったので、僕にとっては、作家のみならず小説や物語そのものに対する冒とくに聞こえました。僕は小説や物語が好きだし、ゆくゆくは英文で書かれた小説を日本に紹介したいと思っている身なので、反論しておきたいと思います。
 その批判というのは、次のようなものでした。「作家なんて、ありもしないことを、よく書くわ」
 まず言うと、小説とは、そもそもそういうものなのです。ありもしないところから、ありもしないお話を立ち上げていくのです。僕たちは、作家たちによる想像力の恩恵を受けているといえます。他人の想像力に身をゆだねているとき、僕たちは自分という殻を抜けだして、あたかも登場人物たちを追体験しているかのように、かりそめの世界に浸ることができます。ある小説を読んだ前と後では、見える世界が違ってしまうことすらあります。現実世界ばかりで生きていては、心はみずみずしさを失ってしまいます。老人ホームの設計ばかりしていては、人の心はしなびてしまうでしょう。そういった心に、小説や物語は潤いの滴を落としてくれるのです。
 普段小説を読まない人だったら、前述のような発言をしても致し方ないところもあるかもしれませんが、たちが悪いのは、その批判を行った人がある程度小説を読んでいるという事実です。あの作品のこういうところが嫌だった、面白くなかった、そういう感想だったらわかります。だけど、前述の批判は、作家や、ひいては物語そのものに向けられた冒とくです。
 嫌なら、今後いっさい小説を読むべきではありません。でなければ、上述のような言葉は口にしてはいけません。読んでいる人や、携わっている人に失礼です。自分が発言したことが、いかに自己矛盾的で自傷的なことか、一度よく考えてみるべきです。そのような発言をして、損なっているのは自分自身にほかなりません。