群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

手作りのアジール

 青木真兵著『手作りのアジール』読了。アジールとは、「時の権力や社会における支配的な原理と別の原理が働く場」。

すべてをお金で交換可能なものにするシステム、資本主義の原理が社会を覆い尽くし、外部につながる回路にアクセスすることすら難しくなってしまった。本来、働かず、給料を稼げず、「生産性のない」人は、社会の外部への回路という貴重な存在でした。それが今では、「存在してはならない」かのように思われてしまっている。ぼくが直感的に必要だと思ったのは、そもそも数値化なんてできない外部に触れる経験です。

ぼくも真兵さんも、外の世界とは一種隔絶した「アジール」として機能していたころの大学の匂いを覚えているほぼ最後の世代なんじゃないですかね。大学はどんどんと、真兵さんの言葉を借りれば、「深く息が吸えない」場所になってきているように思います。ぼくにとってそこが「職場」にもなってしまったから、そう感じるようになっただけかもしれませんけど。学生にとっては、まだまだ特別な空間なのでしょう。でも次第に「自由」や「自治」の部分が削られていっています。昨今はグランドで勝手にサッカーしたり、芝生の上でバーベキューしたりすると、当局に怒られますから。あと、ある時期から購買でビールが売られなくなりました(笑)。

 熱心に学んだとはいえない私が言うのも何なんだけど、3回生になったら就活始めなきゃいけない大学って何なのかねえ…と思う。本来大学って学問をする場所じゃないのかしらん…。モラトリアムの場だとしても、もはやそのようにさえ機能しなくなっているのでは。企業の論理に絡め取られ、大学は「アジール」としての場を失いつつある。就職させることにだけ重きを置いて、ブラック会社の辞め方、労組に入るか否かの選択、失業保険の申請方法などを教えないという指摘にも頷ける。自由を謳う京大から自由を取ったら、何が残るのかと。