群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

常体と敬体

 一応このブログでは、カテゴリーとして常体の文章と敬体の文章を分けています。常体とは語尾が(だ、である)で終わる文章で、敬体は(です、ます)で終わる文章のことです。
 常体と敬体を分けることにより、単に語尾が変わるだけではなく、常体では自分そのものや意見が文章の前面に押し出されてきますし、敬体では一歩引いた位置に下がってきます。それから僕のメンタリティーも変わると思います。常体ではいささかアグレッシブになりますし、敬体では穏やかになります。単に常体の文章を敬体に、敬体を常体に書きかえても、同じものにはならないような気がします。
 ずっと常体で文章を書いているといささか疲れてきます。神経が尖ってきて、文章の傾向がどんどん狭まり、行き場が失くなってくるような感じがしてきます。本当はもうちょっと敬体の文章を増やしたいところですが、翻訳をやっていて語彙の感覚がつかめたり、文章をより長くつなげるようになったりすると、それを使って自分を前に押し出した文章が書きたくなります。でもそればかりやっていると疲れてきます。敬体の文章もぼちぼちと挟みながら、末ながく書くことを続けていきたいところです。