クォン・ナミのエッセイ『翻訳に生きて死んで』を読了。絲山秋子、恩田陸、天童荒太などの日韓翻訳を手掛ける、韓国でも人気の翻訳家によるエッセイ。身辺の雑記から、愛娘について、訳した本のあとがきについてなど、面白く読めた。出版社とのギャランティの交渉についても記されていて、このあたりはやはりシビアなんだなと感じさせられる。個人的には、翻訳に対する心構えについて記された文書に触発されるところが大きかった。
私は無神論者だが、あのときのことを思うと神様は本当にいるのかもしれないという気持ちになる。あるいは、古い表現だが、祖先神が助けてくれたのかもしれない。考えなしに突っ走る私に足をかけて転ばせて、この仕事で食べていくならもっと腰を低く、もっと学んで、もっと誠実であれという愛ある警告をしてくれたのかもしれない。 p133
仕事がないときは、ひたすら読んで、書いて、勉強すること。なにげなく読んだ本、書き散らした文章が積み重なって、必ずや次の翻訳を輝かせてくれるはずだ。 p134
私も読書は好きだが、仕事だと思って読むと、いい本であっても嫌気が差すことがある。前述した”翻訳の勉強”も勉強だと考えると、3日もすればうんざりしてしまうと思う。本は地下鉄で移動している最中や家でゴロゴロしているときに1、2ページでも読めたら十分、文章は時間のあるときにブログに走り書き、翻訳は1日に1行でも訳せたら上出来で、スクラップ翻訳は空いている日にまとめてやればいい……。この程度の努力もせずに、翻訳家になろうとしているわけじゃないですよね!? p59
驚くべきは筆者の翻訳のスピードである。1か月に1冊は訳しているという。「そんなことが実際に可能なのか……?」というスピード。やっぱり出版翻訳だけで食べていくには、このくらいのペースで訳せる能力が必要なんだろうな。
でも筆者の言うような、日々読んだ本や書いた文章が血となり肉となる翻訳という仕事が私は好きだな。生計を立てられているわけではないから、いつか離れなくてはいけないときが来るかもしれないけど、あがけるだけあがいてやろう、と思える一冊。