群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

『見仏記 ぶらり旅篇』

『見仏記 ぶらり旅篇』を読んでいます。面白い。

 人、神、仏がすべてそこに等しく祀られていた。そもそもまず、日本には神道とさえ言えないような自然への信仰があった。そこに仏教が入ってくると、まず宇宙には仏が存在してそれが神の姿であらわれるという本地垂迹思想が形成された。神仏は習合した。
 談山神社の旧講堂はまさにその日本的な信仰の例を示していた。
須弥壇ないのが特徴だね」
 とみうらさんが言うように、神社であるか否かは像というより、祀られ方にあった。そもそも神道では神は姿をあらわさない。神秘的な存在が形になって出現するのは、仏教以後の考え方である。したがって神像自体が、すでにして習合の結果だ。 『見仏記 ぶらり旅篇』 p82

 このへんは、「ふえー」となった。自然への信仰というのは、三輪山への信仰のようなものを言うのだろうか。でも「神道とさえ言えない」とあるから、ひょっとしたら手塚治虫の『火の鳥』に出てくるような、雨乞いのような信仰を指すのかもしれないな。考えてみると、記紀が編纂されたのは奈良時代のことだし、天皇制を神社神道の中核とする国家神道が成立したのも、たかだか明治時代のことであって、それより前には、日本には自然への信仰があったのだよな。このような原初的な信仰に関する記述を読むと、今の日本では、自然に対する畏怖があまりにも失われてしまったと感じざるをえない…。
 昔、親にこの『見仏記』を薦めてもらった記憶があるんだけど、全然面白さが分からなくて、読むのを断念してしまった記憶がある。そりゃこの本、少しは仏像に関心がないと全然分からないわ…。醍醐寺展を見た影響がじわりと出てきた。東寺、行ってみたいな。