群青ノート

日常の備忘録、あるいは私的雑記帳

本当の気持ちを書いた文章

『私の文学史』読了。

 面白い随筆を書くことについて、町田は、「そのときどきの本当の気持ちを書くこと」が大事だという。

「そんなん、普通ちゃうんか」というかもしれませんけど、実はね、これをやっている人は、ほとんどいないんですよ。文章がうまい人はいます。文章のうまさで読ませる人はたくさんいます。でも、そのときどきの本当の気持ちとか、本当に思ったこととか、本当に考えたことを、自分が本当に――というのは、本当に頭の中で浮かんでいたこと、これをそのまま書いている人、加工はします、文章の技術は使います、ただ、その気持ちをダイレクトに書いている人っていうのは、ほとんどいないんですよ。でも、たまにいるんですね、たまにいると、そういう人の書いた文章を読むと、メチャメチャおもしろいんです。西村賢太の小説が、なぜ、おもろいか。ホンマに書いているからです、思うたことを。これがおもしろいんです。

一つは、さっき言った、文章の自意識。なんか、カッコええことを書かなあかんからとか、いざ文章を書くとなると、ええ感じにせなあかんなという、そのことに阻まれて書けないんです。それともう一つ、なんの自意識に阻まれているかというと、普通という意識です。

 私もこの自意識というものに邪魔されるから、自分の文章を書くのはあまり好きではない(最近少しはマシになった気もするんですけど…)。翻訳をやっている方が好きである。翻訳の場合は、英文が何を言いたくて、それをどう日本語で表すかを考えることに集中しなくてはいけないから、自分や自我とかいうものから逃れることができる。同じような意味合いで、いとうせいこうが翻訳をすすめていた記憶がある。

話が循環しますが自意識を取り払った文章、文章そのもの――これを丸谷才一なら「呪術的」と言うかもしれませんが、呪術的な文章の力によって、その文章という船に乗れば、自分が考えている変なことに突き当たる水路、海流に乗れるかもしれない。こういうことがあるわけです。そのために、文章を書くためには、文章を書くときのカッコつけの自意識を外すことをしなければならない。まず、一度外すと文章の自意識がなくなります。そうすると、文章を書くことが楽しくなって、スルスルと文章の推進力によって、言葉を書き進めていくことができます。その、言葉を書き進めていく推進力に従ってどんどん進んでいくと、自分が本当に考えている変なことにたどり着くかもしれない。

 個人的に、ZINEや人のブログを読むのが好きだ。人の日常や思考を垣間見ることは面白い。それに、そういう好きで書いている人の文章は、プロの作家やライターと比べると技術的には及ばないかもしれないけど、その分力が抜けて魅力的なものに遭遇することが多い(最近はプロ顔負けの文章を書く方もいらっしゃいますけど)。そして町田が言うように、自分に正直な文章は確かに読んでいて面白い。写真家の植本一子はプロだけど、そういう自分に正直な書き手の一人で、自分の日常をすべて包み隠さず書いてしまう。ここまで書くのか、とこちらが呆れるほどの徹底ぶりで、そこが彼女の文章を読んでいて面白いところだと思う。
 カッコつけの自意識を外すと推進力に乗ってどんどん進み、自分が本当に考えている変なことにたどり着く、か。文章を書くプロセスって、本来こういう即興的なものなのかもしれないですね。私ももう少し力を抜いて、自分に正直な文章を書いてみたいな(別に今書いてるブログの文章がウソだというわけではないんですけど 笑)。そうすれば、文章を書く前とは違う場所にたどり着くことが出来るのかも。ああ、やはり自分の文章を書くのって難しい!